10. 庭 II

 

 次々に訪れる色あざやかな夢……夢の中で出会う人……交わす言葉……思い出すたくさんのこと……。

 ……いくらあっても足りない眠りの中で、そっと名前を呼ばれたように感じ、目が覚める。

 外はまだ暗いけど、鳥たちの声が聞こえ始めている。

 毛布の中で待っていると、あの声が聞こえた。

 遠くから響く、お祈りのよう……。

 ベッドから出て、音を立てないように窓を開けて庭を見る。声は家の北側から聞こえてくるみたいだ。

 やがて声が止む。

 いつも朝の同じ時間。そう、きっとお祈りなのだろう。お祈りなら邪魔をしてはいけない。

 やがて階下からドアが開いてしまる微かな音がして、それからキッチンでマリーが1日の支度を始める気配が感じられた。

 シャワーを浴びて、階段を降りて行く。

 キッチンから明るい声がする。

「ずいぶん早いのね」

「うん 目が覚めたから」

「まだ眠たそうだわ」

 マリーは笑い、手元のやかんから透明な液体をカップに注いで手渡した。口をつけると、温かな白湯。朝の涼しい空気の中で、ほっと体があたたまる。

「上に何かはおってらっしゃい」

 外はわずかに明るくなり始めているけれど、早朝の庭の気温はまだ低い。緯度でいえば赤道からそれほど離れていないのに、なぜこの島の朝はこんなにも涼やかなのだろう。

 セレスティンと庭に出たマリーは、植物たちの間をゆっくりと歩き、時々足を止める。ブルーのロングスカートが静かに風に揺れる。

 ローズマリーの薮の前に立ち、優しい仕草で、なでるように枝の上の空気に触れる。

「ここに朝露があるわ」

 一本の枝先の小さな薄紫色の花を指さした。

 まだ明けない朝の光のなかで、丸い露は、小さな花びらを包むようにしてゆらめいている。

「指でとって、なめてごらんなさい」

 透明な露を、こぼさないようにそっと指でひろう。

「意識は露と植物の両方に集中して。そして自分のからだの感覚を開いて」
ゆっくりと注意深く露を口にもっていく。

 露が舌先に触れた時、ふわりとからだが温まった。眠気が抜けずにぼんやりしていた視点のピントが合って、まわりの様子がはっきりと感覚に入ってくる。

 目が覚めた、と思った。

 セレスティンは薄紫の花をのぞき込んだ。

 不思議。花についた露をなめただけなのに、はっきりと感覚が変化した。
ローズマリーに顔を近づけて、花の露を探す。

 見つけた露を指でひろって口に入れる。

 今度はからだの温かさよりも、重さを感じた。少し浮いていたような「自分」がしっかりとからだにはまり、地面に足が着いた感じ。

 セレスティンの言葉にマリーはうなずいた。

「覚えてる? ローズマリーの花について話したこと」

「うん」

「植物としてのローズマリーの性質と、今感じたことの間の関係は探れる?」

「……神経を刺激する化学成分があって、それで目の焦点が合ったり、手足をはっきり感じるってこと? でも、なめたのは花についてた朝露だけで、精油の成分をかいだり、葉っぱを食べたりしたわけじゃないのに……?」

 それに化学成分の働きなら、ローズマリーのハーブを使った料理を食べても同じ効果がありそうだけど、こんな経験はしたことがない。

 セレスティンは首をかしげた。

 リンゴの時のように、ローズマリーに聞いてみたらいいのかな……。

 花と視線を合わせて、小さな声で話しかけてから、もう一度、そっと露をふくむ。

 どうしてこんな不思議なことが起きるのか、教えて……

 露が舌に触れた瞬間、きらきらと光るものが自分の中に広がる。肌の透過性が変化して、肌の表面から光がいっぱい入ってきたような感覚。

 まぶしくて思わず目を閉じるが、目は関係ないことに気づく。閉じても閉じなくても同じだ。

 薄紫は薄められた紫じゃなくて、紫の後ろに光……。

 しばらくして自分の中の反応が落ち着く。それでも露をなめる前より、ずっとはっきり目が覚めて、自分が「全体な」感じがする。

 化学成分の奥にある何か。化学成分の働きも、その表現の一部であるような何か……。

 思ったことを話すと、マリーはにっこり微笑んだ。

「でも、どんな仕組みで肌で光を感じたって感じるのかな……?」

「こう考えたらどうかしら。見るという機能は、今の科学で定義されているよりももっと大きなもので、いろいろな形があって、目で見ることはその機能の一部だって。そして肌で見ることもその一部」

「見る」ということは、目で可視光線やその反射を捉えるよりももっと大きな働き……網膜や視神経を通さなくても、「見る」という感覚が引き起こされる? 

 そう、夢みたいに……?

「……花の露にはみんなこんな働きがあるの? それともこれはローズマリーだから? 違う花だと、違う感じがするの?」

「それを確かめるのが、明日からの課題ね」

 (更新待ち)