10. 過去は追いつき

 

 ホノルルのダウンタウンで、大学に向かうセレスティンと分かれる。ルシアスはそのまま、ビショップ・ストリートのカフェに寄ろうと考えた。

 ハワイといってもホノルルのダウンタウンには、オフィスや官公庁の高層ビルが並び立ち、その光景は他のアメリカの大都市と変わらない。ただ違うのは、ビルの後ろに広がる、大量の陽光を含んでまぶしい青色の空と白い雲。

 ――セレスティンとの関係に深入りするべきではないと一度は決めておきながら、今も週に1度とは言え、彼女と時間を過ごすのを自分に許しているのは奇妙なことだった。

 考えに捕らわれながら、足早に歩道の角を曲がりかけた時、よく響く声が自分の名を呼ぶのを聞いた。

「ルシアス――」

 聞き慣れた――そしてこの遠い土地で聞くとは思っていなかった声。

 そのまま歩き続ける。

 声の主が後ろから身軽に近づき、横に並ぶ気配。見慣れた黒いスラックスに、仕立てのいい白シャツ姿が横目に視野に入る。

「おい、相変わらずだな。あいさつもないのか」

 そしてこれみよがしに後ろをふり返った。

「お前があんな小娘と一緒にいるとはな。まあ、もう少しすりゃあ、いい女になりそうだ――あれはもうお前のもんか? でなけりゃ俺の方で口説いてもいいか?」

 そんな言葉でテロンが自分の反応を試しているのはわかっていた。しかしその挑発を完全な無反応で受け流せなかった時、距離を置いてきたつもりだったセレスティンが、すでに自分にとって感情移入の対象になっていることに気づいた。

 一瞬ルシアスの中に表れ、そして即座に抑制された微妙な感情の動きをテロンは見逃さなかった。

「ほお――」

 興味深げに見る。

 詮索をふり払うように鋭い視線を向ける。

「何をしに来た」
「そうつっぱるなよ。別にお前を連れ戻しに来たわけじゃない。軍を退役した。
 それに教団[オルド]とも手を切ったんで、暇になってな」

 意外な言葉にルシアスは立ち止まった。

「とりあえず飯でも食おうぜ」

 テロンはあのいつもの陽気な調子で促した。

 

 ウェイターに薦められてマウイ産のパイナップル・ワインの味をみたテロンが、顔をしかめる。

「なんだこれは 子供用の飲み物か」

 ワインを差し戻し、口直しにグラス一杯のウォッカをもってこさせる。

「どうしてここにいるとわかった?」
「エステラさ。行方をくらました人間の行き先を突き止めることぐらい以外に、魔女の使い道なんぞない」

 テロンがにやりと笑う。

魔女、か。

 ルシアスは考えるようにあごに手を当てた。

「お前が辞めるのをガレンは止めなかったのか?」
「止めたって無駄なことはやつだってわかってる。
 やつの方だって、これ以上俺たちと角を突き合わせずに済むのは、内心願ったりかなったりだったろうぜ。
 いずれあいつは教団をまとめる器[うつわ]でも、東のオフィサーの器でもない」

 テロンの言葉に、人の世でもっとも高い精神と秩序の表現でなければならないはずの組織、その中の勢力争いに巻き込まれた苦々しさを思い出す。

 そして目の前にいるのは、自分をその混乱に巻き込んだ張本人だ。

 白魔術教団[オルド]の先代の賢者[マグス]が思いがけず急逝した時、次の指導者に誰を指名するかの明確な言葉が残されていなかった。

 若いが政治的な駆け引きに優れ、一部のメンバーから来るべきリーダーと見なされていたガレンは、その座につくために積極的に動いた。

 ガレンを後継者とするのに反対する明らかな理由もなく、教団内の同意がまとまりそうになった時、南の方位を司さどるオフィサーとして有力な地位を占めていたテロンは「自分はルシアス・フレイを推[お]す」と言い放った。

 それはルシアス自身、考えも望みもしなかったことだった。

 単独の術師としての背景はともかく、教団の「内側の輪」に加わってからまだ三年、大部分のメンバーからは新参者と見なされていた。何より組織をまとめるという役柄が、自分に向いていないのは明らかだった。

 しかし意外なことに、有力メンバーの何人かがテロンに同調し、ガレンとその支持者との間に反目が生まれ、教団は真っ二つに分裂した。

 グループの様相が混乱を極めたのは、もちろんテロンのせいだけではない。組織自体の膿はもう長いことそこにあり、いずれは噴出せざるを得なかっただろう。

 だが自分の存在がその混乱、策謀、駆け引きの中心に据えられることをルシアスは厭った。教団から身を引いたのはそれが理由だった。

 ルシアスが思い返していることを、まるで正確に読み取るようにテロンが言った。

「ルシアス、お前は理想主義過ぎる。だから現実に対して極端に幻滅するんだ。
俺みたいに最初から斜めに物事を見てりゃあ、人間の馬鹿さかげんにいちいち目くじらを立てずにいられる」
「そんなことはどうでもいい。俺にはもう関係のないことだ」
「そうか」

 テロンはルシアスの顔を見、それからグラスを口に運んだ。

「まあいいさ、俺も当面暇なんでな。南国の気候はたいして好きじゃないが、気分転換にはなる。しばらくいるつもりだから、気が向いたら電話しろ」

 

次へ