14. ガラスが割れる

 

 突然差し込んだ強くまぶしい光に、急激に意識が引き戻される。

 夢を見ていたと思った。だが夢を見ることもできないほど深い眠りの中にいたとも思った。まだはっきりとしない頭に、何か自然でない、乗り物酔いのような不快感がまとわりつく。

 肌に触れるシーツの感触。

 自分が何も身にまとっていないのに気づく。

 目を開けて天井を見、自分の部屋なのを確かめる。

 それから、ベッドのそばで自分を見下ろしているテロンに気づいた。

(……どうして……?)

 混乱のうちに記憶をたどる――車の中で急におかしな眠気にとらわれた――学生新聞の記事が頭をよぎる「デート・レイプ用の薬が売り買いされている」――

 ――はっとした。レストランで、自分が席を立っている間にテロンの頼んだヴァージンコラーダ――胸の鼓動が早くなる。

(まさか……)

 だがそれ以外に考えられなかった。経験したことのない強く不自然な眠気、気がついたら服を脱がされベッドに寝かされていた――

 シーツをつかんで体に押しつけ、ふらつく体を起こす。

 床に落とされた自分の衣類。

 体が小刻みに震えるのを両手で押さえる。悔しさに血が出るほど唇を噛んだ。

(信じられる人だと思ったのに――)

 アパートの廊下に足音が響いて、胸がどきりと打つ。

 ためらうような間。そしてルシアスの声がした。

「セレスティン――?」

 

 約束の時間にセレスティンの部屋の前に着いたルシアスは、ドアがわずかに開いたままなのに気づいた。

 いくらアメリカ本土に比べ治安のいいホノルルでも、若い女性が鍵をかけずに眠ることはあり得ない。まして開け放したまま――

「セレスティン――?」

 声をかけるが返事はない。胸騒ぎを感じ、それ以上待たずにドアを開ける。

 足を踏み入れ、まっすぐ目に入ったのは開け放された寝室。ベッドの横に立ってふり向く男の姿に、ルシアスは凍りついた。

 ベッドの上にはセレスティンがいた――慌てて引っぱり上げたシーツで体を包むようにして。

「お前か――またずいぶん早いな」

 テロンが腕の時計を見る。

「朝になる前に帰っとくんだったな」

 目の前の光景に強く感情が打つのを、意志の力で押さえつける。

「これは……どういうことだ……?」

「どういうことだって、お前もハイスクールのガキじゃあるまいに」

 テロンが軽口に幾分の皮肉を込めた口調で言った。

「訊いといただろう、この娘がまだお前のものでないなら、俺がくどいてもいいかと。俺はお前みたいな禁欲主義者じゃないんでな」

 ちらりとセレスティンの方を見る。

「もっとも最近の若い娘が、ここまで気軽だとは思わなかったがな。お前も短く遊んで終わりにするつもりなら、ちょうどいいだろうが」

 明らかに挑発するようなテロンの言葉のトーンに注意を払っている余裕はなかった。

(セレスティンが自分の意志で何をしようと彼女の自由だ――)

 そう考えて、自分の感情を静かに押さえつける。

 どこかで、何かがカタカタと鳴る音がする。

(――目の前にいるのが自分の友人である男でなければ、こんなことはたやすく割り切れたはず……)

 何かが揺すられるような不審な音が大きくなる。音はどこから来ているのか――

「――違う――!」

 張りつめたセレスティンの声が響いた。

「同意なんかしてない! 飲み物に薬を入れられて、眠ってる間に――」

 セレスティンの言葉が途中で途切れる。

 彼女の目から涙がこぼれた。

 びしりと何かが割れ、弾ける音。

 部屋の真ん中に突然、突風が生じ、激しい勢いでドアにぶつかった。大きな音を立ててが閉まる。風の勢いに衣類や本が飛ばされ、コップが壁にぶつかって砕けた。重い花瓶が窓ガラスにぶつかり、割れたガラスが大きくあたりに飛び散る。突風は窓の割れ目から音を立てて駆け抜けた。

 突風を身に受けながら、テロンが声を上げて笑った。

「こいつはいい! 感情の抑制が外れたと思ったら、一気に現象化か!」

 その言葉にルシアスははっとした。

 不意に風が止まり、舞い上げられていたものが床に落ちた。最後の一陣がテロンに向かってコップを投げつけ、それをテロンは軽くよけて、壁に当たって割れる音がした。

「ふん 風の精[シルフ]どもがずいぶん腹を立ててやがる。もっとも表現はお前よりよほど素直だな」

 呆然と立ち尽くしていたルシアスは、散乱したガラスの破片を踏んでテロンに歩み寄り、乱暴に襟首をつかんだ。

「きさま 彼女を使ったな! 俺に揺さぶりをかけるために、よりによってこんな卑劣なやり方で彼女を巻き込んだのか!!」

 テロンはルシアスの目をまっすぐ見つめ返し、平然と言った。

「俺は目的のために手段は選ばないが、友達の惚れてる女を手籠めにするほど下種じゃないぞ」

 テロンはルシアスの腕を無造作に払った。

「第一、いくらお前をたたき起こすのに成功しても、お前との関係が修復不可能になっては、目的を達したことにならん」

「な……」

 不意を突かれて次の反応を見つけられないルシアスをその場に残し、テロンは大股に部屋を横切った。ドアに手をかけ、出て行き際にふり向く。

「その娘は見つけものだ。せいぜい大事にしてやれよ――窓ガラスの修理費は俺の方に請求書を回しとけ」

 ドアが閉まる。

 セレスティンは体に両腕を回したまま、びっくりした表情で床の上に散乱した物を見ていた。それから思い出したように唇をきゅっと結び、濡れている頬をぬぐった。

 ルシアスはガラスを踏みながらベッドに歩み寄った。青い瞳が自分を見上げる。

 彼女の肩に腕を回し、抱き寄せた。涙の乾き切らぬ頬が、薄いシャツを通して自分の胸に押し当てられた。

「許してくれ」

 それ以外の言葉が思いつかなかった。

 しばらく息を詰めていた彼女がささやいたのは、思いがけない言葉だった。

「謝らなくていい――ルシアスのせいじゃないから」

 それだけ言うとルシアスの背中に腕を回し、胸に顔を埋めた。しばらくそうやって息をしていた彼女の腕から、緊張が解けたように力が抜け始める。

 ルシアスは慌てて彼女の体を支え、ベッドにガラス片が散っていないのを確かめてから、横にならせた。残っていた薬のせいか、セレスティンは幾らもたたないうちに眠りに落ちた。

 ベッドの傍に立ち尽くす。

 ガラスの破片で覆われた部屋の床。

 今さらながら自分の甘さを憎んだ。

(わかっていたはずではないか――自分が彼女と行動をともにし続ければ、どのような形であれ、いずれ彼女を巻き込むことになると……)

 

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