何年も前に物語を書きとり終わって、そのままずっと手の中で温めていた小説をきちんと文章にして、オンライン小説の形で公開することにした。

 仕事が忙しくて、本当にやりたいのに、ずっと放りっぱなしになっているものが幾つもあり、創作活動として「書く」ということはその一つ。絵を描くというのがもう一つ。

 いろいろ思うことがあって、生活を整理して無駄を省き、そのための時間を作ることにした。

 今でも支えになっているのは、北米先住部族(ネイティブアメリカン)の師父グランドファーザー・ウルフ・ストームとそのパートナー、ホワイト・スワンといっしょに時間を過ごした経験。

 二人が保持するエネルギーの器の中で時間を過ごしながら、「書く」という作業のプロセスについて、そして「書く」ことを通して次の世代に伝えることの重要さについて、改めて思い出した。

 グランドファーザーから命じられたことは幾つかあるのだが、その一つは、「若い女性を集めて訓練する」ということだった。

「このまま男どもの手に力を握らせておいては、世界の状況は惨くなるばかりだ。女性たちが知恵を身につけ、力を取り戻さなければいけない」。

 今の私の仕事では、30代の女性は「若い女性」である。しかし、それよりさらに若い世代との接点は、どう築いていったらいいのか。

 それだけが小説の公開を決めた理由ではないが、確実に理由の一つではある。

 今の仕事の枠組みでは手の届かないところへも、言葉を通してエネルギーを伝え始めること。

 魔術とアルケミー(精神的錬金術)についての講義の中で、ロザリン・ブリエール師はこう言われた「魔術の本質について学ぶには、小説を読みなさい」。

 それはディオン・フォーチュンが「出版されている魔術の手引書に載っているのは、盗まれた知識と誤った理解だけ。書き手は本当の魔術について何も知らない」と述べていることとも関係している。

 フォーチュンの後継者で、英国リベラル・カトリック教会の司祭でもあったW・E・バトラー師のような例外中の例外を除いて、これは事実だ。

「真理はむしろ物語の中にある」

ロザリン・L・ブリエール

 もちろん、実践することを学ぶなら、物語を通して本質について吸収した後、実際に師とともに時間を過ごし、技術的なことを学びつつ、師のオーラフィールド(ヒューマンエネルギーフィールド)から情報を吸収するという過程が必要になる。

 他方、フォーチュンやバトラー師が指摘するように、魔術(実際には神聖術と呼ばれるべきもの)の道を歩くには、徹底的に自己と向かい合う「容赦のなさ」が必要だ。

 大部分の人は、この「容赦のなさ」を性向として持ち合わせていないか、そんな生き方をすることを望んでいない。

 「Path of Hearth Fire(竈(かまど)の火の道)」は、そういった人たちのためにもある。

 そしてもちろん、竈の火の道にあって、家庭を保ち、子供たちを育て、道を歩く者を支えてくれる人々がいなければ、すべては成り立たない。

 何はともあれ、久しぶりに戻ってみれば、創作活動として文章を書くのは、やはり純粋に楽しい。

 

 検索エンジンでArs Magikaを検索しようとすると、勝手にArs Magicaで結果を出してくる。

 確かにラテン語の通常スペルはmagicaなのだけど(「k」を使うのはギリシャ語由来の語のみ)、あえてkで綴っている。

 英語でもクローリーあたりからmagicではなくmagickと綴られるが、それも意味あってのこと。

 

「わたしは現実と折りあうべきだ。だが、一度も折りあったことはない。SFとはそういうものなんだ」 

フィリップ K. ディック(浅倉久志訳)

 

「プラトンは後回しでいい。ヘルメティカを先に訳してくれ」 

コジモ・ディ・メディチ

 

「無意識に生き続けるという贅沢は、我々にはもう許されてはいないのだ」 

テレンス・マッケンナ

 

「歴史とは、人類の集合意識が見る夢だ」 

テレンス・マッケンナ

 

 小説を書いていて、本当はこのあたりでイラストも入れたいが、デジタルでの作画はまだ手習いレベル。

 実際にペンと水彩で描いてしまった方が早い…みたいな。

 それからデジタル作画の絶対的な弱みは、絵を描く過程で、実際の顔料と関わりを持たないこと。良質な絵の具は今でも自然の鉱物系だし、油絵も水彩も基本的にアルケミストの作業。

 昔、ゾクチェンのタンカ絵師の人の作業場に入れてもらったことがあるが、自分の手で鉱物をすり鉢ですりつぶして顔料を作っていた。

 青は本当にラピスラズリ。朱色は辰砂(硫化水銀)。

 

 自分でも気に入っている、駆ける狐。

fox

 心理療法課程の卒論を締め切り日の明け方までかかって書き上げ、そのまま動かされるように描き上げた絵。何も考えず(徹夜明けなので何も考えられず…)、湧き上がるイメージを紙に落とした。

mandala

 これも古い絵…。

wolves_dream
ourlady

 上の4枚はすべて鉛筆と水彩(紙はアルシュ300lb)。

 

小説

ヘルマン・ヘッセ

 小学校の時、国語の教科書にのっていた短編(「少年の日の思い出」)を読んでから、忘れられない作家になった。

 一番好きな詩人でもある。

 ドイツ語もヘッセが原書で読みたい一心で勉強した。

 『知と愛(原題 ナルツィスとゴルトムント)』『ガラス玉演技』『メルヒェン(短編集)』『シッダールタ』。

 翻訳は高橋健二に限る。「少年の日の思い出」の訳も同氏だったのは、今でもしっかり覚えている。

 

オーソン・スコット・カード

 『ソング・マスター』『Ender’s Game』『Ender’s Shadow』『Speaker for the Dead』(エンダー・シリーズは邦訳の訳文がかなり読みづらいらしいのが残念)。

 人物の造形と心理描写、ぐいぐいと引き込む物語の面白さと文章のうまさ、加えて重厚な思想性。これを全部備えているのがすごい。

 SF作家の中では、少年の心を描かせたらカードに優る作家はいないと思っている。上に挙げた作品も、『Speaker for the Dead』以外、少年が主人公で、どれも深く切なく胸に響く。

 

ロジャー・ゼラズニイ

 『光の王』『我が名はコンラッド』『伝導の書に捧げる薔薇』『真世界アンバー』シリーズ。

 翻訳では伝わりにくいが、英文学の専門家らしく磨き上げられた流麗な文体は、まさに酔わされるような美しさ。その文章力に支えられたイメージと造形が、読むこと自体の楽しみをとことん味わわせてくれる。

 カードが陰影のある少年の描写に秀でるのに比べ、ゼラズニイの作品は男臭さの映えるキャラクターがいい。

 

シオドア・スタージョン

 『人間以上』『夢みる宝石』。

 『人間以上』は中学の時に読んで、何度も読み返し、その度に影響を受けた。
 大人になってから原書で読み直して、しみじみ「いいなあ」と思った。やっぱり名作だからなんだと思う。

 

A・E・ヴァン・ヴォークト

『スラン』『原子の帝国』は今も好きな作品。

 

アーサー・ C・クラーク

 20世紀SF「3人の巨匠」の1人。ハインラインとアシモフももちろん好きだが、中学の時にクラークの『幼年期の終わり』を読んで、「人類全体とその進化の可能性を見据える視点」というものがあることに打たれた。以後、SF道まっしぐら。

 

エドワード・E・スミス

 「レンズマン」シリーズは今でも大好きな作品。小学生の時に子供用の抜粋翻訳を読んで引き込まれ、元のシリーズを探し当てて以来、何度読み返したかしれない。永劫の善と悪の戦い、宇宙スケールの叙事詩、古き良き意味で徹底してアメリカ的な作品。

 

映画

 『コンスタンティン』『リベリオン 反逆者』『ジョン・カーター』。
  連作ものでは『スタートレック』『指輪物語』『Xメン』『アヴェンジャー』『ハンガーゲーム』。

 『スタートレック』『指輪物語』は見るたびに「人間」というものについて、勇気、献身、友情といったことについていろいろと考えさせられ、内省させられる。それだけをとっても古典と言える優れた作品群。

 Xメンは中学の頃にアメリカン・コミックの原作で読み始めたのもあり、ミュータントのテーマが好きなこともあって、愛着がある。(ただし映画は回によって外れあり)。

 『アヴェンジャー』シリーズは、何も考えずに見れば派手でにぎやかなアクション映画なのだが、実は重要なメッセージや神話・物語のアーキタイプをぎっしり詰め込んであり、何度見ても面白いし、「こういう作品をまだハリウッドは作れるんだ」と改めて思った。

 『ハンガーゲーム』は、深い思想性と社会的メッセージを持ち込んで、なおこれだけエンターテイニングな作品に仕上げることができていることにうならされる。

 

TVシリーズ

 『スタートレック(宇宙大作戦)』『新スタートレック』。

 ただし『スタートレック・ヴォイジャー』は外れだったと思う。シリーズ初の女性艦長は、ひたすら男性的なリーダーシップを発揮しようとするおばさんで、艦長を女性に設定した意味がまったくなかった。(女性のリーダーシップは男性のリーダーシップとは質も形も違うものだ。)

 日本には入ってないみたいだが、アメリカのケーブルでやっていた『The Highlander(ハイランダー)』シリーズも好きだったし、『Far Scape』はとびきり面白かった。

 イギリスの古典SFシリーズ「Dr. Who(ドクター・フー)」も捨てがたい。お気に入りは渋い9代目と、ニューハーフ気味マッドサイエンティスト風の11代目。

ツール

 文章はMacBook Air。

 ソフトは『Ars Magika アルス・マギカ』を文章に落とし始めた頃からScrivenerを使っているが、ワープロとはまったく別次元の「物書き」のために徹底的に作り込まれた機能性に感嘆。

 以来、これ以外での書き物は考えられない。

 デジタルでの作画には、iPad ProとApple PencilでClip Art Studioを使い始めている。

 ただやっぱりアナログの方が好き。画面の中の画素だけで行う作画は、絵の具の顔料を通して自然と関わる作業にとって代わることはできないと思う。

場所

 自宅、旅行先、カフェ……雑踏の背景音は気にならない。

 ワシントンDCで働いていた頃、よくダウンタウンの地下のフードコートで書き物をした。近隣のビルで働くぱりっとしたスーツ姿の官僚や政治スタッフと、あらゆる国からの出稼ぎ移民が渾然と空間を共有するあの雑踏。今でもとても懐かしい。

 あの頃は仕事の合間に時間を盗んで、『アルス・マギカ』の前身になるSF小説を書いていた。

時間

 自宅にいる時はやっぱり真夜中。12時を過ぎた頃からギアが入る。

必需品

インターネット  推敲の段階で、あいまいな知識や事実関係は必ず確認。

お茶  紅茶をミルクティーで。愛用はHOJOの英徳と紅玉。

執筆中に聞くもの

 音楽は感情体に響き、書いているものに影響するので、書き進めている時の背景音には、音楽ではなく、好きなレクチャーやオルタナティブメディアのインタビュー類を流していることが多い。

 ちょっと前まではテレンス・マッケンナ。

 推敲時は物語のイメージに集中するため完全に無音。

好きな音楽

 ブリティッシュ・ロック。

 ルネサンスからバロック期の音楽。

 シュヴァイツァー博士の演奏するバッハのCDは宝物。