カテゴリー別アーカイブ: SF・ファンタジー(本・映画の感想)

『新スター・トレック』

『新スター・トレック The Next Generation』

最近見た映画の中では、『レッドクリフ(赤壁)』と並んで気に入った。

「ミレニアル世代をターゲットにリメイクすると、こういうふうに生まれ変わるのだなあ」という感じ。

昔のオリジナル・キャストの雰囲気を残しながら、現代風にアレンジし直されたキャストもいい感じ。とくにカークひとりがヒーローだった昔のスタートレックに比べ、どちらかというと頭の足りない(そしてうっとおしい性格の)新カークの回りを、魅力的なキャラが固めている布陣は、水瓶座時代的と思う。

しかしクールでかっこいいスポック、力いっぱいオタク天才少年的なチェコフなんかを見ていると、監督は日本のマンガかアニメの影響を受けてる人かなという気もする…。

(2009年6月11日)

『リベリオン -反逆者-』

リベリオン -反逆者-

あらすじで「クラリック」と訳されているのは、司祭/聖職者のことで、聖職者が主人公の「SFガン(銃撃)アクション」(笑)。

『華氏451』の思想性あるストーリーラインと、『マトリックス』のファッションとアクションを合わせた映画といえば、ほぼぴったり。

最近のアメリカ映画は見始めて途中で放棄するものが多いけど、これは時々また見返したいと思うぐらい気に入った。

(2009年4月24日)

 

リベリオン -反逆者-』(DVD)

フランク・ハーバート『デューン 砂漠の異端者』

秋の終わり頃から久しぶりに集中的な書き物をしているが、その反動のように小説や物語が読みたくて、移動や仕事の合間を見ては、昔読んだ小説を読み直したり、好きな作家のまだ読んだことのなかった作品を読んだりしている。

『Heretics of Dune』(邦訳『デューン 砂漠の異端者』)は、昔、翻訳で一度読んで、その時はアイディアは面白いと思ったが、全体としてあまり強い印象は残らなかった。

しかし原書で読み直してみて、デューン・シリーズを一躍有名なものにしたハーバートの精密な描写力と、設定・物語作りの巧みさに改めてうたれた。小説の類としばらく遠ざかっていたこともあるのだろうが、読み始めると本を置くことができず、つい睡眠時間を削って読み通す。

映画の『デューン・砂の惑星』が原作とはまったく「別物」になってしまっていることは、SFファンならよく知るところだ。デューンの物語構成の中で非常に重要な要素であるベネ・ゲセリットの教母たちも、映画の中では、ただおどろおどろしい存在としての印象しか与えなかった。

しかしこの小説では、教母たちが主役的役割を果たし、生き生きと描かれている。

デューン・シリーズが最初に発表された時には、人間と自然環境との関係についての科学的・哲学的考察をベースにした「初のエコロジカルSF」と呼ばれた。

個人的には、血筋(遺伝)・潜在的能力と厳しい訓練の組み合わせによる通常の人間を超えた能力の発現、そして人類と個人の進化という、シリーズの背景を流れるもう一つのテーマが興味を引く。(ベネ・ゲセリットは、これを方法論として存在する母系的集団として設定されている。)

こういうテーマを、SFのストーリーテリングを通して読むことの好きな人にはお勧め。(ただしシリーズの始めの方の作品を読んでなくて、デューンの自然環境や歴史・文化の設定に馴染みがないと、ややとっつきが悪いかもしれない。)

(2006年11月24日)

デューン 砂漠の異端者』(1)
デューン 砂漠の異端者』(2)
デューン 砂漠の異端者』(3)

ロバート・A・ハインライン『夏への扉』

これはSFの中でも古典中の古典の1つ、巨匠ハインラインの中でもファンの多い作品なのだが、私は最近まで読んでなかった。

そしてハインラインが力一杯、猫の人だったのを知った。

SFに馴染みのない人は、これが1950年代に書かれた「未来小説」だったことを頭に入れて読んで欲しい。

エンターテインメントなストーリーはまったく古びておらず、猫への思い入れあふれるストーリーと描写、とりわけ最後の締めくくりが泣かせる。

これまで世に出された何万というSF小説の中で、「猫好きのための1冊」を選ぶなら間違いなくこれ、という作品。

(2006年9月19日)

ロバート・A・ハインライン『夏への扉

『ハリー・ポッター』、魔法と魔術

正月、小学生の姪っ子にせがまれて、ハリー・ポッターの映画を見につれていった。

私にとっては、映画は基本的に国際線の飛行機の中で見るもので、自分では、よほど見たいものでなければ映画館には出向かない。ハリー・ポッターの前作も全部、飛行機の中で見た(笑)。

(ちなみに最後に映画館で見たのは『指輪物語』。)

「ハリー・ポッターは映画より本の方がいい」と言っていた姪も、この4作目は「面白かった」と満足げだった。

私は小説の方は読んでないが、現代っ子をこういう物語形式の「思想」に触れさせておくのは、悪くないと思った。

映画から見る限り、ポッターのシリーズは、魔術の道程の基本を一応押さえている。

・知性を磨き、意志の力を鍛え、豊かな感情生活を送ることの大切さ
・真に優れた魔術師は、勇気と高潔な人格を備えていること
・魂のイニシエーションには、火の要素と水の要素が関わること(アルケミーの原理)

……など。

ある意味すごいと思ったのは、人間の魂の深い部分の暗闇に触れる内容を、エンターテインメントな読み物の一部として「子供向け」の物語の中に含めてしまっている点だ。

惜しまれるのは、描写の中で、魔法(魔女術、witchcraft)と魔術(magic)がごっちゃにされて、実際に魔術の道程を歩みたいと思う人に誤解や混乱を招きそうな点か。

魔法とは、呪文や秘密の儀式などを使って外の世界やまわりの人間をコントロールし、自分の欲しいものを手に入れる方法。

魔術とは、外の世界を鏡として自己の内面を変容させ、その結果として外の世界に対する制御力を身につける道程。

魔術(magic)の語源はラテン語の「magus(単数) magi(複数)」で、magusは「賢者」のこと。つまり、それは本来、賢者になるための修行の階梯だ。

いずれにせよ『ハリー・ポッター』シリーズは、現実とまったく関係のない単なる空想物語でもなく、また文字通りの魔法や魔術の道程の記述でもない。魔法と魔術の道程の知識をベースに書き上げられた、象徴としての物語である。

(2006年1月24日)

シオドア・スタージョン『人間以上』『夢見る宝石』

スタージョンの『人間以上』を読んだのは中学の時。それは物語を通して、人間の種としての進化の可能性と方向性、そしてその中で道徳とエトスの果たす役割について、十代の心にしっかりと刻み込んでくれた。その意味では、自分の人生観に影響を与えた本。

改めて原書で読み直してみると、舌足らずなところ、説教っぽくて冗長なところもあるが、それでもやはり名作だ。

昔読んだ時には気づかなかったのだが(当時は心理療法についての知識も経験もなかった)、半世紀前に書かれたこの本の中で、スタージョンがすでに、心理分析や心理療法的手法で感情や記憶のブロックを解くことが、人間の能力や可能性をフルに発揮するために重要だと考えていたのに驚かされる。

もちろん優れたSF作家というのは、いつも来る時代の予言者ではあるのだが。

「人間の種としての進化は、道徳性を核とすることなしにはあり得ない」というメッセージを、こんなにもストレートに(ほとんど説教調で)語り上げることを許し、しかもそんな作品に多くの賞を与えた当時のSF界も、すばらしかったと思う。

欧米でも日本でも、今のSF界にはこの頃の面影は残っていないような気がする。

SFの中には、十代の頃には夢中で読んだが、今はもう読めないなと思うものもある。だがスタージョンは今でも好きな作家だ。

『夢見る宝石』は、『人間以上』と並ぶスタージョンの代表作。

『人間以上』を読んだのと同じ頃に探したが手に入らず、やがてSF小説そのものを読まなくなり、そのままになっていた。思い出して原書を手に入れて読んだが、久々に古典的名作のカテゴリーに入るSFを読んだと感じた。

1950年に書かれた作品とはとても思えないが、時代を超えて残る古典とはそういうものだろう。十代の頃ではなく、人生経験を一通り積んだ今になって読むことができたのも、ある意味では幸運だった。今だからこそ、この作品をすみずみまで味わうことができたと思うから。

「人間であるとはどういうことなのか、何が我々を人間たらしめるのか」という永遠不変のテーマを、最初から終わりまで一気に読ませる抜群におもしろいストーリーとして書き上げることのできたスタージョンは、ディーン・クンツの言う通り、何世紀を経ても読み継がれ続ける作家だと思う。

シオドア・スタージョン『人間以上
シオドア・スタージョン『夢見る宝石

ロジャー・ゼラズニイ『アンバー・クロニクル(総集編)』

アンバー・シリーズは2巻だけ読んで全部は読み通してなかったのだが、全10巻の総集編というのを見つけて、正月の読書用に買ってしまった。

最初は仕事からの頭休めによいヒロイック・ファンタジーのつもりで読み出したのだが、読み出したらけっこう本を置くのが難しい(笑)。

アンバーは世界の中心であり、唯一の真の世界である。そしてその「影」として無数の世界が存在し、我々の地球も、その無数の「影である世界」の1つに過ぎない。

アンバーの王族の血を引くものは、「パターン」と呼ばれる光の神聖幾何学図形を歩み通すイニシエーションを受けることで、これらの「影世界」を自由に移動することができるようになる。

「真世界」アンバーでの出来事は、すべての「影世界」に影響を与え、反映される。膨大な年月を生きるアンバーの九王子の一人である主人公は、一族の陰謀や王位を巡っての闘争に身を投じながら、真世界と影世界を行き来し、その過程で「自分自身」について学び、変貌を遂げていく。

アンバーの王族の設定は、ギリシャ神話的なきわめて人間的な神と、より形而上的な神の性質を併せ持っていて、人間の魂がやがて人間のレベルを超えて進化していく過程をメタファーに含んだ物語だなと思う。

魅惑的な設定とテーマの上に、流麗な文章で、読み出したら止められないペースでストーリーを描いていくのは、さすがゼラズニイ。

(付記)

先に書いたように、オリジナルのシリーズ(1巻から5巻)は、先を読むのが待ちきれないくらい面白く読み通した。登場キャラクターの魅力、背景描写の重厚さ、スリリングに始まり、やがてほとんど叙事詩的な規模に広がっていくストーリーと、どれも文句なし。ゼラズニーの作品群の中でも高く評価されているのもわかる。

しかしオリジナル・シリーズの主人公コーウィンの息子、マーリンを主役にした続編(6巻目以降)に入って、読むスピードががっくり落ちた(1日2、3ページのカタツムリ・ペース)。

うーん。

ストーリーはスリリングと言えばスリリングで、背景になっているアンバーと混沌の宮廷の設定などは相変わらず魅力なのだが、いかんせん、主人公に魅力がない。

オリジナル・シリーズの主人公コーウィンは、アンバーの九人の王子の一人であるけれども、3分の2ヒーロー/3分の1悪漢みたいな感じで、必要があれば敵の寝首をかくことも厭わないハードボイルドのキャラクター。その彼が、次第に人間愛に目覚め、一種の崇高さと使命感を身につけていく過程は、読んでいて実によかった。

しかし息子のマーリンは(まあ、数百年から数千年も生きている他のアンバーのキャラクターに比べて若いというのもあるかもしれないが)、人のいい甘ちゃんぶりを通り越して、友情には厚いかもしれないが、女に弱く、頭の悪い魔術師としかいいようがない。(アーサー王伝説からとった「マーリン」という名前に、その辺が意図的であることを含ませてあるのかもしれないが。)

「ストーリー展開を複雑にするためだけに、主人公に間抜けな行動をとらせてはならない」というのは、ディーン・クンツが書いている小説作法の1つだが、ここではゼラズニーは明らかにそのパターンにはまっている。

これを書いた頃、ゼラズニーは闘病生活に入る少し前で、最盛期の頃の冴えがなくなっているのは仕方ないのかもしれない。

しかし続編の5冊は、回り道のための回り道的ストーリー作りと、スタイリッシュなだけで内容のない長々と続く会話を省いて、2冊くらいにまとめて欲しかった。魅力のないキャラクターを主人公にストーリーを5冊分ひっぱるのは、いくらゼラズニーでも無理がある。

少し前に「もう読み進まない」と書いたが、気を変えて、突貫作業で残りの300ページくらいを読んでみた。

しかし作品の質も面白さも、やっぱりオリジナル・シリーズとは比べようもない。最後の巻などは、ゼラズニーらしからぬ雑さで、急ぎ書きまとめられたような感がある。

そう言えば、フランク・ハーバートのデューン・シリーズの最後の作品も、急いで乱雑に書き殴ったような感じだったが、作家の体力とエネルギーの衰えは、やはり作品の勢いや質に反映されるということかもしれない。

好きな作家たちには健康で長生きして欲しいゆえん。

(2006年1月)

Roger Zelazny: The Great Book of Amber: The Complete Amber” The Great Book of Amber: The Complete Amber Chronicles, 1-10 (Chronicles of Amber)