「ミレニアル世代をターゲットにリメイクすると、こういうふうに生まれ変わるのだなあ」という感じ。

 昔のオリジナル・キャストの雰囲気を残しながら、現代風にアレンジし直されたキャストもいい感じ。

 とくにカークひとりがヒーローだった昔のスタートレックに比べ、どちらかというと頭の足りない(そしてうっとおしい性格の)新カークの回りを、魅力的なキャラが固めている布陣は、なかなか水瓶座時代的と思う。

 しかしクールでかっこいいスポック、力いっぱいオタク天才少年的なチェコフなんかを見ていると、監督は日本のマンガかアニメの影響を受けてる人かなという気もする…。

 最近のハリウッドは結構そういう監督やプロデューサーは多くて、日本のマンガやアニメへのオマージュなどもあったりする。

 

 秋の終わり頃から久しぶりに集中的な書き物をしているが、その反動のように小説や物語が読みたくて、移動や仕事の合間を見ては、昔読んだ小説を読み直したり、好きな作家のまだ読んだことのなかった作品を読んだりしている。

 『Heretics of Dune』(邦訳『デューン 砂漠の異端者』)は、昔、翻訳で一度読んで、その時はアイディアは面白いと思ったが、全体としてあまり強い印象は残らなかった。

 しかし原書で読み直してみて、デューン・シリーズを一躍有名なものにしたハーバートの精密な描写力と、設定・物語作りの巧みさに改めてうたれた。

 小説の類としばらく遠ざかっていたこともあるのだろうが、読み始めると本を置くことができず、つい睡眠時間を削って読み通す。

 映画の『デューン・砂の惑星』が原作とはまったく「別物」になってしまっていることは、SFファンならよく知るところだ。

 デューンの物語構成の中で非常に重要な要素であるベネ・ゲセリットの教母たちも、映画の中では、ただおどろおどろしい存在としての印象しか与えなかった。しかしこの小説では、教母たちが主役的役割を果たし、生き生きと描かれている。

 デューン・シリーズが最初に発表された時には、人間と自然環境との関係についての科学的・哲学的考察をベースにした「初のエコロジカルSF」と呼ばれた。

 個人的には、血筋(遺伝)・潜在的能力と厳しい訓練の組み合わせによる通常の人間を超えた能力の発現、そして人類と個人の進化という、シリーズの背景を流れるもう一つのテーマが興味を引く。(ベネ・ゲセリットは、これを方法論として存在する母系的集団として設定されている。)

 こういうテーマを、SFのストーリーテリングを通して読むことの好きな人にはおすすめ。(ただしシリーズの始めの方の作品を読んでなくて、デューンの自然環境や歴史・文化の設定に馴染みがないと、ややとっつきが悪いかもしれない。)

 

 正月、小学生の姪っ子にせがまれて、ハリー・ポッターの映画を見につれていった。

 私にとっては、映画は基本的に国際線の飛行機の中で見るもので、自分では、よほど見たいものでなければ映画館には出向かない(年に1、2回)。

 ハリー・ポッターの前作も全部、飛行機の中で見た。

 姪っ子は「ハリー・ポッターは映画より本の方がいい」と言っていたのだが、この4作目は「面白かった」と満足そうだった。

 現代っ子をこういう物語形式の「思想」に触れさせておくのは、悪くないと思った。

 映画から見る限り、ポッターのシリーズは、魔術の道程の基本を一応押さえている。

・知性を磨き、意志の力を鍛え、豊かな感情生活を送ることの大切さ
・真に優れた魔術師は、勇気と高潔な人格を備えていること
・魂のイニシエーションには、火の要素と水の要素が関わること(アルケミーの原理)

……など。

 ある意味すごいと思うのは、人間の魂の深い部分の暗闇に触れる内容を、エンターテインメントな読み物の一部として「子供向け」の物語の中に含めてしまっている点だ。

 個人的に惜しまれるのは、描写の中で、魔法(魔女術、witchcraft)と魔術(magic)が混ぜられて、実際に魔術の道程を歩みたいと思う人に誤解や混乱を招きそうな点ぐらいか。

 魔術とは、外の世界を鏡として自己の内面を変容させ、その結果として外の世界に対する制御力を身につける道程。

 『ハリー・ポッター』シリーズは、単なる空想物語でもなく、また実際の魔法や魔術の道程の記述でもない。それは魔法と魔術の道程の知識をベースに、著者の豊かな創造力によって書き上げられた物語だ。

 スタージョンの『人間以上』を読んだのは中学の時。それは物語を通して、人間の種としての進化の可能性と方向性、そしてその中で道徳とエトスの果たす役割について、十代の心にしっかりと刻み込んだ。その意味では自分の人生観に影響を与えた本。

 改めて原書で読み直してみると、舌足らずなところ、説教っぽくて冗長なところもあるが、それでもやはり名作だ。

 昔読んだ時にはもちろん、心理療法についての知識も経験もなかったので気づかなかった。今改めて読んで、半世紀前に書かれたこの本の中で、スタージョンがすでに、心理分析や心理療法的な手法で感情や記憶のブロックを解くことが、人間の能力や可能性をフルに発揮するために重要だと考えていたのに驚かされる。

 もちろん優れたSF作家というのは、いつも来る時代の予言者ではあるのだが。

 「人間の種としての進化は、道徳性を核とすることなしにはあり得ない」というメッセージを、こんなにもストレートに(ほとんど説教調で)語り上げることを許し、しかもそんな作品に多くの賞を与えた当時のSF界もすばらしかったと思う。

 SFの中には、十代の頃には夢中で読んだが、今はもう読めないなと思うものもある。だがスタージョンは今でも好きな作家だ。

 『夢見る宝石』は、『人間以上』と並ぶスタージョンの代表作。

 『人間以上』を読んだのと同じ頃に探したが手に入らず、やがてSF小説そのものを読まなくなり、そのままになっていた。

 思い出して原書を手に入れて読んだが、久々に古典的名作のカテゴリーに入るSFを読んだと感じた。1950年に書かれた作品とはとても思えないが、時代を超えて残る古典とはそういうものだろう。

 十代の頃ではなく、人生経験を一通り積んだ今になって読むことができたのも、ある意味では幸運だった。今だからこそ、この作品をすみずみまで味わうことができたと思うから。

 「人間であるとはどういうことなのか、何が我々を人間たらしめるのか」という永遠不変のテーマを、最初から終わりまで一気に読ませる抜群におもしろいストーリーとして書き上げることのできたスタージョンは、ディーン・クンツの言う通り、何世紀を経ても読み継がれ続ける作家だと思う。