13. 冬

 
 セレスティンは、1年を通して温かい南カリフォルニアで育ち、そして大学はハワイにやって来た。だから雪の降る冬を経験したことがない。
 北東部の州で雪が降って、町が白くおおわれる様子などをニュースで見ると、「いったいどんなふうなんだろう」と想像した。
 いつかテロンがセレスティンをからかいながら、「冬の厳しさを知らん人間に、春の美しさがわかるか」と言っていたのも思いだす。
 ハワイは冬は雨期で、朝早くや夕方に雨が降り、少し肌寒く感じることもある。でも日中は変わらず暖かく、空は青く晴れわたる。
 夕食の後、デザートの洋梨のコンポートを頬ばるセレスティンに、マリーが言った。
「来週あたり、ニューヨークに戻ってこようと思うのだけれど」
「え」
「中部[アップステート]の山の中に、別荘に使っていたコテージがあるの。久しぶりに様子を見ておきたいのよ。今はとても寒い季節だけれど、一緒に来てみる?」
「行きたい。東海岸にはまだ行ったことがないから。雪は見られる?」
 マリーは笑った。
「アップステートでは、今は何もかも雪の下よ。じゃあ、飛行機の切符をとりましょうね。冬着の準備もしなくてはね」

 アパラチア山脈に連なるキャッツキルの山並みに向って車を走らせる。
 雪。本当にどこもかしこも雪。そして空は薄暗い。
 セレスティンは、期待とわずかな不安が入り交じった気持ちで窓の外を眺めた。
 曇り空の下の針葉樹は枝も白く凍りついている。道路の脇には低い雪の壁ができていた。除雪の跡だとマリーが教えてくれた。
 途中の町で食事をとり、それから幾つかのお店に寄って、車のトランクと後ろの座席が一杯になるまで食料や薪を買い込んだ。
 そこからもう2時間ほど走った山の中。公道から脇道に入り、凍った道路の上をマリーは注意しながら車を進める。
 林の中に三角の屋根が見えた。ぽつりと立つ木造のコテージのまわりに他の家は見当たらない。
 車から降りると、冷たい空気が顔に当たる。吐く息が真っ白だ。
 荷物を家の中に運びながら、マリーが言った。
「部屋が暖まるまで時間がかかるから、ダウンジャケットは着たままでね」
 地下室に降りてポンプや配管をチェックし、暖房を入れ、リビングのストーブに薪をくべ始める。でも部屋の温度は上がるように感じられない。ブーツを履いているのに、足もとから冷えがはい上がってくる。
「こんなところで一人で暮らしていたの?」
「前の夫と別居してから離婚するまでの間ね。それまではニューヨーク・シティに住んでいたから、ここは夏の間の避暑や、書き物をするために使っていたの。
 少し降りれば小さな町があって、ヘルスフードのお店やカフェもあるし、不自由はないのよ。都会の生活とはもちろん違うけれどね。
 春から秋には植物も豊富で、いろいろな花が咲いて、鳥や動物も多くて、楽しい場所よ。
 でも私はここで過ごす冬も好きなの。あらゆるものが雪におおわれて、森の声さえも聞こえないほどに静まる。
 その静けさの中で、深く自分の中に降りていくことができる。それは他の季節には経験できないものだから」

 セレスティンはコテージの裏のデッキに出て、夕暮れの山を眺めた。黒っぽい木々の影と、その間を埋める雪。
 風すらも吹かず、すべての生き物が呼吸を止めてしまったようにあたりは静まっている。
 これまで雪景色というのを写真や映画で見て、ロマンチックなイメージを抱いていた。でも実際の雪――雪の降る厳しい冬には、想像していなかったことがたくさんあった。
 外に出るには厚く服を着込んで、ブーツや手袋もしないといけない。それでも体は冷えて、雪の上は滑って歩きにくい。雪かきも頻繁にしないといけないみたい……。
 「自分は冬のある気候は向いてないかも」とすら思った。

 ストーブの前で手を暖めていると、マリーがお茶を渡してくれる。シナモンとクローブの香りのミルクティー。
 ソファに座ってひざ掛けに包まれ、濃い蜂蜜の甘さにほっとする。
「町のお店で買った、このあたりの山の花から採れた蜜よ」
「おいしい」
 熱いお茶を口の中で転がしながら、リビングを見回す。木の存在感を生かしたシンプルな調度は、オアフの家とよく似ている。
 本棚の上に、小さな額縁に入った写真があった。
 ニットの帽子をかぶった小さな男の子。笑っているような、少しふくれつらのような表情。
 子供らしさと、不思議に大人びた表情が同居していると思った
 男の子の視線は、セレスティンの胸のどこかを引っぱった。
 マリーがキッチンに戻って夕食の支度を始める。

 遅い夕食が済み、二人でストーブの前に座る。
 手の中のカップから漂う、温めたアップルサイダーのシナモンの香り。
 しばらく黙っていたセレスティンは、マリーに訊ねた。
「あの写真の男の子は……?」
「……私の息子。この子が死んでしばらくしてから、離婚したの」
 子供がいたことに、マリーはこれまで一度も触れたことがなかった。
 それからゆっくりと言葉を継いだ。
「生まれてすぐに白血病にかかって、5歳になるまで病気と闘って、逝ったの。……5年の間、自分の大切な命が、生きることと死ぬことの間をさまようのを見守り続けたのよ」
 マリーは何かを思い出すようにしていた。
「物心ついた時から入院と退院を繰り返して、『もう注射は打たれたくない、おうちに帰ってずっといたい』って泣かれた時には、胸がはり裂けてしまいそうだった」
 しばらく言葉が途切れる。
「……5歳になったある日、痛いとか苦しいとか言わなくなったの。注射をされるのも、点滴を受けるのも、だまって我慢していた。それからしばらくして、私の手を去っていったの」
 マリーの表情は静かだった。ただ、彼女のきれいな指がそっと目元をぬぐった。
「その5年の時間は苦しかったけれど、息子と生きることで私は、愛するということを学んだと思う。
 愛は感情ではないし、放っておけば湧き出すものでもない。
 それは、行為を通して生まれ変わらせ続ける必要のあるものだって。
 愛すると決めたもののために、信じて、光を探して、そして一緒にい続けること。
 医者には『もう助からない、長くない』と言われて、自分の愛しい生命と、あとどれだけ一緒にいられるかもわからない。そんな不安の中で毎日を過ごしながら、思ったの。
 恐れのために愛するのを止めることだけはしない。この子に、私が与えられるすべてのものを与え続けようって。
 それが容易いことだったと言ったら、嘘だわ。
 あきらめて手放してしまうことができたら、きっとその方が楽だったでしょう。
 でも私は自分の選択を悔いていない」
 そう言って微笑んだ。それは優しく、少し悲しい笑顔だった。
「ねえ セレスティン 人生に保証があったら、どんなにいいかしらね。
 でも、すべてが確かだったとしたら、私たちは信じる強さを身につけることはない。だから私は、神や人生を恨んではいない」
 セレスティンは気づいた。
 自分はずっとマリーの包みこむような優しさと温かさに触れてきた。彼女はそんなふうに包容力があって、面倒見のいい性格に生まれついてるんだと、いつも思っていた。
 でも今思えば、マリーの優しさは単なる優しさではなかった。その裏には揺らぐことのない強さの質があった。
 それは彼女自身の過去から来ていた。
 彼女はつらい過去を愛する力に変えてきた。そして自分はその力に包まれて支えられてきたから、ここまで変わり、成長することができたのだと……。

 自分もいつか、マリーのように強くなることができるだろうか。

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