16. 背後

 今日は外部からの訪問者もない。ガレンのための報告書をまとめ終わると、ジレは中庭に出た。
 いつもなら時間のある時には、女性たちの集まるところで話を聞いたり、参入して日の浅いメンバーに声をかける。
 人間関係についての情報収集と人脈の形成。それが目下のやるべきことだ。
 だがジレの心は、まだ昨日のできごとについて思い返していた。
 二つの偶然。
 最初に二つ目の世界で、あの娘と出会ったこと。
 あの黒い湖のほとりは、自分の隠れ家のような場所だ。向こう側で邪魔されずに一人でいたい時、あそこで時間を過ごす。
 そのために、人を寄せつけないエネルギーの障壁をノイバラの形にして敷いてある。
 それをあの娘は、多少の擦り傷を作っただけで、苦もなく通り抜けて来た。
 オディナの邪魔が入らなければ、彼女ともっと話がしたかった。どうやってあの障壁をいとも簡単にくぐり抜けてきたのか――なぜ障壁が彼女に対して反応しなかったのかを突き止めたかった。
 そして昨日の偶然。
 自分はあの娘のことを考えながら、ホノルルのどこかにあるはずのその所在を探っていた。そして同じ時間、彼女はたまたま守られている空間外にいて、意識の制御を手放したところだった。
 そのわずかな隙間から、彼女の意識に話しかけることができた。
 ささやかれた言葉は、彼女の興味を引きつけるためのものだ。
 「君は特別な存在だ」「自分たちが出会ったことには意味がある」「二人は遠い過去からの知り合いだ」――魔術やオカルトに興味を持つ女性を口説くのに、もっとも効果的なセリフだ。
 そしてそれは半分、うまくいった。
 自我に制御されない状態の彼女の心は、それに反応した。近づかれることには反発しながらも、言葉の内容に興味を示していた。
 「二人の出会いには特別な意味がある」などというセリフは、ジレ自身、信じていなかった。
 しかし二度、続いた偶然には注意を向けざるを得ない。そして次に三度目が起きたら、それは偶然ではない。
 あの娘は、実際に何か特殊な力の持ち主なのかもしれない。
 それはあり得ることだ。あのオディナがわざわざ手をとって教え、大切に扱っているのも、それが理由かも知れない。
 確かに右も左もわからない新参にしては、二つ目の世界での彼女の存在感は安定していた。知識は浅い。しかしまるで長くそこを歩き渡ってきたような自然さがあった。
 彼女とのやりとりを思い出す。
 非力で物を知らない女性が、自分に対して生意気に抵抗しようとする様が可愛いものだと、あの時は思った。
 しかし若く、純真で、魔術の才能のある女性……それは自分の目的のために役立つのではないか。

 夕方、ジレは自分が密かに組織しているグループのミーティングに赴いた。
 教団のメンバーの中でも若く有能で、そして現在の教団のあり方に疑問を持っている者たちだ。
 魔術に関わる能力が優れていることは当然だが、忠誠心と行動力があり、目的のために献身できる者だけを招いていた。
 白魔術の修業には、もともと強い自己規律と鍛練が必要とされる。
 それもあって教団全体のメンバーにも、軍の出身者や現役の軍人はそれなりの数いる。ここに集まっている中にも何名もの軍士官たちがいた。
 彼らは秩序を司る場所[オルド]としての白魔術教団の存在意義には賛同しているし、そこに保持されている知識の価値や訓練の有用さについても認めている。
 しかし今の教団は政界や財界とのつながりが強すぎる。これでは真の意味で世界の秩序を守ることはできないという意味で、教団の現状に満足していない。
 そしてそれは政界や財界と関係の深い年配者が幹部の地位を占める限り、変えることはできない。だからいずれ古い幹部は一掃し、若く有能な人間で入れ替えるべきだとジレは考えていた。
 ガレンは年齢的には古い世代ではない。しかし彼の考え方や行動のパターンはきわめて保守的で、古参幹部の支持を得ることができたのもそのためだ。余計なことをせず現状維持に努めるタイプだと見られていた。
 教団の基準では古参と言える歳ではなく、しかし思想的には古い世代寄り。その中途半端な存在が、ジレには都合がよかった。彼を隠れみのに使い、自分がやりたいことをやれたからだ。
 やがてミーティングの顔ぶれが揃い、ジレは立ち上がって皆を見回した。