20. 影

 エステラは教団の一室に一人いた。建物の最奥にあり、すべての雑音から遮断された託宣者[オラクル]の執務室。
 部屋の中央に置かれた大きな椅子の背にもたれ、足を組む。椅子の骨格には綿密な彫刻が施され、背もたれと座面は上等なシルクのヴェルヴェットが張られている。
 この椅子には代々の託宣者だけが座る。
 個人的には大仰なしつらえは好まなかったが、しかしこの椅子は、教団における託宣者の立場が持つ力を象徴していた。
 ここにいると、外からの音は遮断されて静かだ。だがそれはかえって教団の中にある、耳に聞こえない雑音を際立たせる。
 先代の賢者[マグス]は、しばしばこの部屋を訪れ、教団にとって重要な問題についてエステラに相談した。託宣を求めるというより、自分の考えを話し、それに対して忌憚のないフィードバックを得ることのできる、よき相談相手としていた。
 ガレンは指導者の座についてからも、それまで同様、直接エステラに接することを避けている。必要がある時には、彼の右腕を演じているジレが話をしにくる。
 ガレンが指導者の座につき、古参の幹部たちは彼を認め、すべてが以前のように保たれている。
 だが、それは表面だ。
 教団の集合意識を少し降りた場所には、幾つもの相反する動機と利益が小さな固まりに別れ、渦を巻いている。
 秩序を保つ場所[オルド]の本来の目的に沿わない不純物は、いずれオルドの圧力釜のような力[フォース]の圧によって表面化する。
 表面化した泡ははじける。
 それは個人の単位で起きることもあれば、組織の中の混乱や動揺として形をとることもある。はじける力が強すぎれば、水をはね飛ばすだけでは済まない。
 この伝統あるオルドの中に時間の経過とともに溜まってきた澱みに、先代の賢者は気づいていた。それを洗い出すのに、どんな手段をとらねばならないか。場合によってはどんな犠牲を払う必要があるかを、彼は考えていた。ただそれについて決断を下すことができる前に、亡くなった。
 テロンがオフィサーとして残っていれば、問題は目に見える形にして、陽性の表現をとらせることができた。それは一時は延焼する火事のように広がっても、ルシアスがいればそれを収束させることができた。
 彼ならすべての混乱を、私心なく、明晰に、明確に捌いていくことができた。
 今、教団の底に渦巻いているのは、影のような形のない陰性の流れだ。
 そしてそれを収束できる指導者がいない。ガレンでは役不足なことは明らか。
 いや……おそらく彼の存在は問題の一端だ。
 彼が何かを深いところに隠しているのをエステラは気づいていた。だが、それが実際に対処する必要のある問題として浮上するまで、放置するつもりでいた。
 秩序を保つ場所[オルド]のこの現状に、エステラ自身、少々うんざりしないではなかった。
 ルシアスやテロンのように教団を去って、一人の術師として歩むことも可能だし、個人としてはそれは望ましい選択だった。
 だが、今はまだその時ではない。
 託宣者の立場は特権と責任の両方を伴う。自分に与えられた責任を果たすまでは、この足場を放棄することはできない。

 「光あるところには、つねに影がつきまとう」とはよく言ったもの。それは組織や社会だけではなく、人の心も同じ……。