夜遅く、ジレは教団から自分のマンション[アパート]に戻った。冷蔵庫から気に入っているミネラルウォーターのびんをとりだし、グラスにも注がず口をつけた。
炭酸を含んだ冷たい水が気分を落ち着かせる。
体を投げ出すようにソファにもたれた。
昼間のガレンとのやりとりに打ちひしがれかけた気分だったが、意志の力でそれを横に押しやる。
ガレンには、自分が教団に留まり今の立場を維持することと引き換えに、グループのメンバーのリストを渡すと口約束した。
もちろん、すべての名前を与えるつもりはない。
教団の改革にコミットしている若く有能な者は隠し、関係のない無能な幹部の名前を混ぜてリストする。ガレンの方ではそれをより分けるだけでも時間をとられるし、下手を打てば教団内部に混乱が広がる。やつも慎重に動かざるを得ない。
そして自分はガレンに服従するふりを続ける。向こうもどうせ自分のことを完全に信じはしないだろうが、それはお互い様だ。
それにしても、あのガレンが――中途半端な保守主義者と見なされていた男が、「改革」という言葉を使ったことが気になった。やつがそれを口にした時の表情は、これまで見たことのない確信に満ちていた。
しばらく考えを巡らせたが、どこにも着地させることができない。
透視者を使えば、状況についてのあたりをつけることができるだろう。だが今それはできない。教団の中の誰が自分を裏切ったのかがわからないからだ。
ガレンが知っていた内容からすれば、それはフェルドマンである可能性が高い。だがフェルドマンの性格と、密告という行為は自分の中で結びつかなかった。
ガレンが前から自分を疑っていたのなら、独自にスパイを置いていた可能性もある。
ジレはミネラルウォーターを飲み干し、神経質に髪をかき上げた。
つかみどころが欲しい。
教団の透視者たちの顔を思い浮かべる。ガレンと通じるような可能性がまったくないない者がいるか。
エステラ・ネフティス。
ネフティスは刃物のように切れる。きわめて扱い難い。過去には彼女に近寄ろうと試みたこともあったが、とりつく島もなかった。
だが今は他に頼れそうな人間はいない。
これまで他人に「頼る」ことなど、考えたことはなかった。自分にとって、他人は「使う」ものだったからだ。
だがガレンの手の内が読めず、何を画策しているのかの見当もつかないことで、自分は追い詰められている。
そしてガレンの豹変に何か不吉なものをも感じていた。
ガレンは、フレイを除くために何かを仕組んでいる。
そのこと自体は知ったことではない。フレイからあの娘を引き離したいという自分の都合からすれば、フレイがはめられるのはむしろチャンスかもしれない。
だが、何かが感覚に針のようにひっかかった。
この感覚が何を意味するのかを知るためにも、ネフティスの手が借りたい。
しかし教団の中にガレンのスパイがいるなら、自分が託宣者の執務室の周囲をうろうろしたりすれば、すぐにばれる。そうなればガレンはただちに自分を排除するだろう。
ネフティスの個人的な連絡先は誰も知らない。
彼女は教団の指導者からであっても呼び出しは受けず、自分で望む時に教団を訪れる。
それからふと思い出す。
彼女が例外的に個人的につきあっている相手がいると、ケイティが言っていた。
託宣者としての立場から、彼女はフレイとオディナの二人とガレンを同等に扱った。つまりどちらにも一切の支持を与えず突き放していた。
だが個人的にはフレイともオディナともつきあいがあるのだとケイティは言っていた。それはオディナに執心しているケイティのやっかみだろうと、その時は気に留めなかった。
しかしそれが事実なら、ネフティスの連絡先を知っているのはその二人だ。
ジレはソファにぐったりともたれかかり、息を吐いた。
昨日まではすべてが自分の思い通りにいっていた。
だが突然すべてが頓挫し、自分は手詰まりで、追い込まれている。
よりによって自分が邪魔者と考えていた相手の助けを必要としている。
だがそれでも、自分が抱えているものを投げ出すのは嫌だった。投げ出せば、それは敗北だ。だが試み続ける限り、状況を変えられる可能性はある。
敗北だけはするものか。
一時は惨めな思いをしても、最後には必ず望んだものを手に入れてみせる。自分は重要な役割を持ってこの世に生まれてきた特別な人間なのだ。
ジレは携帯を手にとった。
ホノルルはまだ夕刻。エルドマンから聞いていたフレイの番号を探してかける。
だが「この番号の持ち主は現在電話に出られない」という電話会社の録音の声が返ってきた。携帯の電源が切られている。
メッセージは残さずに電話を切った。
今はまだ自分でやれることがある。思考を切り替え、ガレンに渡すリストやそれ以外にうてる手について考え始めた。