15. 伸ばされる手

 ルシアスはダウンタウンの古書店で時間を過ごし、とくに目ぼしいものも見つからず店を出た。
 今はもう、ニューヨークの生活は記憶の隅にしまわれているが、よく通った何軒かの古書店のことだけは思い出す。
 一般的な本なら、オンラインで探して買う方が早い。しかしそういった販路には決して乗らない類いの本がある。
 例えば、特定の秘教や魔術教団に属する人間だけが所有する門外不出の文献。それが持ち主の死後、その意味を理解しない家族の手で古書店に売られることがある。
 そういった掘り出し物を見つけるのは楽しみの一つだったが、ホノルルではそれはなかった。西洋の伝統につらなる秘教や魔術の関係者が、ここにはほとんど住んでいないからだ。
 そんなことを考えながら、道を曲る。
 ふいに一陣の強い風が吹き、その肌触りに警戒の質を感じた。
 道をさらに折れて、細い裏通りへと入る。
 意識を向けて耳を澄ます。
 足音が自分と歩調を合わせ、一定の距離を保ってついてくる。誰かが後をつけてくる。
 相手の存在を感じとる。本能的な不快感を覚えた。
 だが相手が自分をつけてくる以上、やり過ごそうとするのは無駄だ。
 立ち止まってふり向く。
 数メートル離れたところから、あの男が近づいてきた。
 驚きはしなかった。エルドマンから電話があってから、遠からず接触があるだろうとは考えていた。ただ接触してくるのは部下だろうと思っていた。
「さすがの勘のよさだ、少佐」
「用件を聞こうか」
 なぜこんなところに、などと訊きはしなかった。この男が動く時にははっきりとした目的があり、そのための手はずを整えている。そして望むものを手に入れるまで執念深く手を打ち続ける。
 スローン大佐はルシアスの横に並び、そのまま歩き続けるようにあごで促した。
「ルシアス・フレイ少佐。我々のプロジェクト始まって以来の天才的な軍事遠隔透視[MRV]能力者。君を失ったのはプロジェクトだけでなく、合衆国にとっての損失だ」
「戻れと説得に来たのか」
「考えてくれるかね」
「断る。軍はすでに退役した」
「では、民間スタッフとしてプロジェクトで働くのはどうかね?」
「それも断る」
「このプロジェクトの重要性は君もよくわかっているだろう。何が不満なんだ」
「興味がもてなくなった。それだけだ」
 ルシアスの言葉に、スローンの顔には一瞬、怒りが浮かんだ。だがそれはすぐに狡猾な表情に変わる。
「少佐、君は魔術に興味があるかね?」
「……」
「実は私のもとに、君が悪質な魔術教団に属しているという報告が届いてね。それで君の背景や身辺について詳しく調査させてもらった。
 犯罪行為にも関わる、かなりたちの悪い団体らしいな」
 無言のルシアスを、スローンが薄笑いを浮かべながら見る。
「君と君の友人――テレンス・オディナ中佐には、その教団との関連で複数の重大な犯罪容疑がある。どうだ、話を聞く気になったかね」
 スローンが足を止め、背後から黒塗りの車が近づいて停まる。
 スローンは後ろの座席に乗るよう、あごで指示した。
「着くまで大人しくしていてもらう」
 隣に座った男――体格や容貌からおそらく軍の出身者――がルシアスに目隠しをさせ、消音用のヘッドホンをつけさせた。
 長い時間、車は移動し、やがて目的地らしい場所で止まる。少ししてまた動き出したのは検問を通過したのだろう。
 移動に時間をかけたのは、目的地に直行せず回り道をしたはずだ。
 最後に車は駐車し、目隠しのまま下ろされる。
 しばらく歩かされ、ドアの開く気配がし、日差しが遮られて気温が下がる。建物の中に足を踏み入れた。
 幾度か通路を曲り、さらにドアが開いて部屋の中に通される。
 そこでヘッドホンと目隠しを外すことを許された。
 机と椅子だけの殺風景な室内。軍の施設の敷地内にある人気のない建物の中といったところだ。
「座れ。携帯電話は預からせてもらう」
 先ほどの男が携帯を受けとり、スーツケースに入れてロックする。
「これは誘拐なのか?」
「話し合いだよ。君が条件を呑んで協力してくれれば、その後は自由だ。
 まず言っておこう。私が今はプロジェクトの統括責任者だ。すべては私に一任されている。だから君をどう扱うかも私の判断で決められる」
「協力はしない、あるいはできないと言ったら?」
「君と君の友人にとって、かなり面倒なことになるだろう。
 君らが黒魔術の儀式と称して誘拐と殺人に関わったという証拠がある。それをFBIなりニューヨーク市警なりに渡せば捜査が始まる」
「事実でないことに証拠などあるものか」
「告発者が証人としている。何にせよ、君が協力するなら、その証拠は処分して告発は封印される。お互いに面倒を避けられるわけだ」
「あんたのやっていること自体、強迫という犯罪だ。
 それに透視者がタスクに意欲を持たない場合、透視の精度はがた落ちかゼロになることを知っているだろう」
「それはわかっているとも。そのために、プロジェクトには腕利きのカウンセラーやらモチベーショナル・コーチを置いて、透視チームの士官や兵士をなだめすかしているんだ。
 なにより私は君のハンドラーだったのだからな。
 だが、君自身と友人を刑務所入りから救うというのは、十分なモチベーションになるんじゃないかね? それに……」
 わざとらしい間。
「恋人を悲しませたくないだろう?」
 薄笑いを浮かべてスローンは言った。
「私もこんな手段には訴えたくはないがね。
 君が辞めた後、君に匹敵する能力のある者は出ていない。もっとも成績のいい者でさえ、君の足下にも遠く及ばない。
 遠隔透視が軍事で実用性を持つためには、君のレベルの精度が必要だ。抽象的なイメージではなく、はっきりとした具体的な情報が欲しい。
 ロシアの軍や諜報機関は、すでに高い実用レベルの能力者を多く確保している。それに対抗しなければならないのだ。
 君が自主的にプロジェクトに戻ってくれるなら、それが一番いい。
 だがこれまでのやりとりで、君の態度は相変わらずのようだ。合衆国のために働くよりも自分の都合を優先させる考え方もな。
 だからこれが条件だ。君の能力について研究者に詳しく調べさせ、それをもとに他の兵士や士官を訓練する方法を作りたい。
 もちろんその間に君にこなしてもらいたいタスクもある。
 これなら協力してくれるだろう」