20. 星

 一度はフレイに電話をかけたがつながらず、ジレは考えを変え、ネフティスの連絡先を聞きだそうとするのを諦めた。
 他の人間に言うことを聞かせるように容易にフレイを動かすことはできないのは、わかっていた。
 あの男は自分の理想や信念以外のことにはこだりはないが、かえってそのために思考は明晰で、目は物事を見通す。情報を求めるには、正直に理由を話して頭を下げるしかない。
 それにあの娘のことがある。彼女はおそらく、自分がホノルルにまで訪れたことを話しているだろう。だとしたらそれは多少なりとも、フレイやオディナに警戒感を持たせているはずだ。
 見込み薄な方向を追求するのを止めて、まずやらなければならないことについて考える。ガレンに渡すリストだ。
 ガレンがお飾りの指導者の立場を脱ぎ捨て、教団を完全に掌握しようとしているのは確かだ。
 しかしやつの言う「改革」が何を意味するのかがわからない。同じ改革であっても、やつが意図するものと自分が望んでいるものは違うはずだ。
 もっと具体的に何を計画しているかがわかるまで、従うふりをして足を引っぱり、膠着状態を長引かせて時間を作る。そうして情報をつかんだら、その後にどう動くかを決める。
 それは賭けだ。しかし何かを賭けずに大きく前に進むことはできない。これまで何度もやってきたこと。そうやって今の立場を手に入れたのだ。
 ガレンに渡すリストからは、自分の腹心で若く有能な者は外しておく。そしていなくても困らない程度の者と、この際いなくなってくれればありがたい幹部の名前を混ぜて並べる。
 幹部どもはガレンに問われれば全面的に否定するだろうから、ガレンの方ではそれをより分けるだけでも時間をとられる。
 ガレンが指導者の地位につけたのも、そういった幹部らの支持あってのことだ。やつも慎重に動かざるを得ない。下手に強く出れば教団内部に混乱が広がり、やつの足場も崩れる。
 教団を掌握して改革したいというのだから、すべてぶち壊すことを望んではいないだろう。教団の影響力や政界や軍部とのつながりは利用したいはずだ。
 ジレは思案しながらリストを練った。
 こんな時に、これまで集めてきた幹部たちについての情報が役立つとは皮肉なものだ。
 この世界の秩序を保つ場所[オルド]の幹部でありながら、魔術の才能は凡庸で、ただ政界や財界で力を握り、拡大することにしか興味のない者。オルドを踏み台と考え、その影響力を利用することしか考えていない者。
 そもそもなぜ、こんな人間たちが教団に参入を許され、運営に関わる幹部の地位につくことが可能だったのか。
 本気で魔術の道を究めようと修業に打ち込む者は、そういった俗世界的な駆け引きにうとい。それは理由の一つだ。
 そしてもう一つは、教団が自らの統合性を維持する「力」そのものが、弱まっているのではないかとジレは考えていた。
 教団の器と機能を背後で支える目に見えない力が衰えており、本来の目的に沿わない夾雑物が混じり込むことを止められなくなっている。
 だからこそ自分は改革を望んだ。教団にその世界の秩序を保つ場所[オルド]としての本来の力をとり戻させるために。
 そこまで考え、ふと、自分の知っているガレン個人についての情報や噂がきわめて少ないことを思い出した。
 ガレンは他のメンバーたちからつねに一定の距離をとっていて、とくに親しい者はいない。他のメンバーとの折衝や根回しに自分を必要としたのはそのためだ。
 距離を保っているが、勤勉で折り目正しく、立ち居振る舞いも非の打ち所がない。その意味では信用されていた。
 女性メンバーの中でやつの気を引こうとした者もあったが、丁重に遠ざけられたらしい。「紳士っていうよりは、女性に触れることを罪だと思ってる、がちがちの神学生みたい」とその女性は評していた。
 だがそういった表づらの後ろに、別の顔を隠していた。
 ガレンの言葉を思い出してみる。
 やつはフレイを高く評価していた。「彼ならば教団を動かし、生まれ変わらせることができただろう。しかし、だからこそ彼に戻ってきてもらうわけにはいかない」。
 高く評価するあまりフレイの存在を不安に思うということか。後々の憂いを断つためにとり除いておきたいと望むほどに。
 把握しなければならないあまりに多くの要素に、ジレはしばし思考を休めてソファにもたれた。
 もちろん、こういった細々とした現実の断片をより分け、そこから直感に導かれて行動を選ぶ能力。それが、世界を変えていこうとするなら必要なものだ。
 修行だけに打ち込む者たちは、そういった俗世界的な面倒を切り捨て、自分一人が精神的に前に進むことだけを考えている。
 だが自分は違う。自分は魔術の技にも優れながら、同時に人間の世界に働きかけ、それを変えたいという意志を持っている。
 立ち上がり、窓に近寄って外を見る。
 窓ガラスから伝わってくる冷気が意識を醒まさせる。
 眠らない都市は夜空の下でもその照明を完全に落とすことはなく、星の光はいつも半ばかき消されている。
 記憶を探る。
 星など最後に探したのは子供の時、施設に入れられていた頃だ。規則を破って夜中に一人、外に出て夜空を眺めていた。
 ここでは誰も自分を知らない。自分が抱えているものを理解しない……そう思っていた。
 その思いは今でも自分の奥深くにある。この世界では、誰も自分を深いところでは理解しない。
 なぜこんなことを思い出しているのか……そう思いかけた時、携帯が鳴った。
「ガブリエル」
 その低く魅惑的で、水のように冷ややかな声に心臓をつかまれる。
「あなたに用があるわ 坊や」