21. 問い

 ジレは指し示された椅子に座っていた。威厳を保つように背筋を伸ばしながら、内面の緊張が顔に出ないように努める。
 大人になってから他人を前に固くなったことなどない。先日のガレンとのやりとりですらそうだ。しかし今、自分は緊張していた。
 それは目の前にいるのが「人の心を読む」と噂される教団の託宣者、エステラ・ネフティスだからなのか。
 ジレはそのオフィスに呼びつけられていた。教団にある託宣者の執務室ではなく、ミッドタウンにある彼女のプライベート・オフィスだ。
 彼女は普段、政界や財界の大物だけを相手にする占星術師として仕事をしていると聞いていた。
 この椅子には過去に数知れない依頼者が座っただろう。そしてその依頼者たちもこんなふうに、心の底まで見通すような緑の瞳の前で、ひそかに緊張していたかもしれない。
 自分の電話番号は教団の女性たちの多くに教えてあるから、ネフティスがそれを手に入れたのは驚くには当たらない。
 だが、このタイミングで彼女の方からコンタクトしてきたのは、ただの偶然じゃない。そして教団の執務室ではなく、教団の誰も知らない彼女の私的なオフィスに呼び出されたことも。
「ガブリエル」
 冷ややかであると同時に魅惑的な声が自分の名前を呼ぶ。
「私に話すことがあるわね?」
 他人が自分のことを考えている時にそれに気づくのは、霊媒や共感能力の強い透視者によくある。驚くようなことではない。
「教団にとって重要なことが陰で起きている。そしてあなたはそれについて知っている」
 それまで何を話して何を隠すかと考えを巡らせてていたジレは、どう言葉を弄しても彼女の追求からは逃れられないと感じた。
 教団における託宣者の地位というのは形式的なもので、ネフティスの能力にも誇張された噂が多いとずっと思っていた。先代の賢者から重用されていたということが、光背[ハロー]のように作用しているとも考えていた。
 透視者や霊媒の女性たちが敬意の眼差しで彼女を見るのも、力のある立場に立つ者への心理的な投影に過ぎないと。
 だがそれだけではないことをジレは知った。
 今、目の前の彼女をとりまく力[フォース]は並みのものではなかった。青く透明な光が彼女個人のフィールドを超えて大きく広がる。2メートルほどの距離をあけて座っているジレもその中に包み込まれていた。
 普段、教団で彼女が見せているフォースの大きさは、意図的に制御された抑えられたものだった。
 ケイティなどは比較にもならない。超えようもないほどの格の違い。
 そのフォースの影響が、水のように自分に染み込んでくるのを感じた。意識がいつにも増して明晰になり、表層意識とその下にあるもののつながりが揺すられ、開かれる。
 この状態で嘘をつこうと試みるのは悪手だ。
 ジレは口を開いた。
「……どこから話せばいいですか ミス・ネフティス」
「ガレンのこと。おそらくすべてはそこに収束するんでしょう。
 私はあなたの行動を裁くつもりはないから、保身は横に置いておきなさい」
 その言葉をジレは呑み込み、覚悟を決めて、自分とガレンの間に交わされた会話について話した。
 ネフティスは自分の顔から目を離さず、静かに聞いていた。
 しかし彼女の視線と、その洗い流す水のような存在感は、自分の中に留めておこうと思った考えの扉を開き、うち明けさせた。
 告白のようにジレが話せるだけのことを話してしまうと、ネフティスはしばらく遠くを見るように視線を上げていた。
 再び、その目が自分に向く。
「ガブリエル 今、あなたが知りたいと思っていることを言葉にしなさい」
 不意をつかれ、考えるより先に言葉が口をついて出る。
「ジョン・トーマス・ガレンの意図から教団を守るには、何が必要か」
 ネフティスは目を細め、数秒の間目を閉じると、再びジレの顔を見つめた。
「いいわ 坊や。それがとっさに出てくるようなら、あなたもまだ捨てたものじゃない。
 ただ教団を守るためには必要な役者が足りない」
 ジレはそれがフレイとオディナを指しているのだと悟った。
「……ガレンはルシアス・フレイに対して何かを企んでいるように思いますが」
「ええ」
 ネフティスの表情が厳しくなる。
「もう歯車は動き始めているようだわ。ガブリエル 私の言うことを聞きなさい」