27. こぼれる

 朝になり、いつもなら病院に出かける時間になってもセレスティンが起きてこない。マリーは部屋に行ってノックしたが返事がなかった。
 声をかけてそっとドアを開けると、セレスティンはシーツをかぶってベッドに丸くなっていた。のぞきこむと顔が汗ばみ、額に手を近づけると熱があるのがわかる。
 もう長いこと疲れがたまっていたはずで、それで体調を崩したのだろう。いずれ少し休ませるのはいいことだとマリーは思った。
 セレスティンが気がついて目を開け、起き上がろうとする。
「寝てなさいな。熱があるわ」
「でも……」
「ルシアスのところにはテロンに行ってもらうから」
「……」
 セレスティンの表情は熱っぽく、ぼんやりとしている。言葉を継ごうとして頭が動かないのがわかる。
「2、3日ゆっくり休みなさい。具合が悪いのに無理をするのは、ルシアスが望むことじゃないでしょ」
 マリーがスープをもって戻った時、うつらうつらしていたセレスティンは目を開けた。
「スープを飲める?」
「……少しだけ」
 セレスティンは、味もわからないような表情でスプーンを口に運んだ。
 ルシアスが行方不明になった時から、まともに食事をとっていない。食べ物を味わうことをいつもあんなに楽しんでいた彼女なのに、今はマリーやテロンに促されて、ようやく少し口にする。
 今は冬休みだが、その前から「勉強なんて手につかない」と大学にも行かなくなっていた。
 愛する人が自分の腕から奪われ、ようやく帰ってきた時には昏睡状態で、いつ意識が戻るかもわからない。
 二十歳を少し過ぎたばかりのセレスティンには、あまりに過酷で理不尽な経験だった。その重荷に彼女はずっと耐えてきたけれど、彼女の存在は細く細く引き伸ばされて、今にも切れてしまいそうな糸のように感じられた。
 マリー自身、ルシアスのことを思うと胸が苦しかった。彼はマリーが望んで受け入れた数少ない親しい友人であり、娘のように思っているセレスティンの恋人だった。
 この二人が互いに愛しあいながら幸せに生きていくのを、ずっと見守りたいと思っていた。その望みが、こんな形で壁にぶつかり、その先が見通せない。
 日を追ってセレスティンの中には、無力感とも諦めとも思われるものを感じることが増えていた。
 まるで、ルシアスが自分のもとに戻ってこないことを、運命だと、心のどこかで受け入れてしまっているかのような。
 それはマリーを憂わせた。
 こんな状況で人を支えるものは希望だ。それも他人の言葉ではなく、自分の内側から灯される明り。
 以前のセレスティンからはいつも、未来への期待と希望があふれていた。けれど今はそれが、風の中でふき消されそうな灯[ともしび]のように頼りない。
 しかし……自分に何が言えるだろう。
 彼女が人生の不条理さの中で苦しんでいるのは事実で、言葉だけの励ましは助けにはならない。
 ただそばにいてやることしか、今はできない。
 翌朝、セレスティンは起きてきて、ルシアスのところに行くと言った。立ち方はまだふらふらとして、心もとない。
「もう少し休んでいたら? 熱も完全に下がっていないし」
「何かをしていたい 眠りたくないの」
「どうしたの?」
 セレスティンは口ごもった。その表情は何かを恐れている。
 ふとずっと昔のことを思い出し、胸がどきりとうった。
 自分の息子が息を引きとる少し前……あの子は目を閉じるのを恐がっていた。寝てしまうと、もう帰ってこられない気がすると……。
 けれど、そのことについてセレスティンにもう少し話をさせるのと、今は黙ってルシアスのそばに行かせることの間で迷い、行かせることをマリーは選んだ。
 電話をしてテロンに迎えに来てもらう。
 重圧の中でばらばらになってしまいそうな彼女をつなぎ止めているのは、ただルシアスの存在だ。それを彼女から遠ざけてはいけない……。