病室に横たわっているルシアスの様子に変わりはなかった。
しばらく前に「蘇生後脳症からの遷延性の意識障害。生命維持機能は残っているが、意識を回復する可能性は低い」と年配の医師は言った。
そしてそれが何を意味するのかをセレスティンに説明しようとした。それは「彼のことは諦めて、先のことを考えた方がいい」という遠回りの表現だった。
大学で生物学を学んで、人間の体についても理解しているセレスティンには、ルシアスの状態について医師の言おうとすることはよくわかっていた。
毎日、そこに誰も住んでいない空っぽの体を見続けて、自分の中でもその「事実」を受け入れかけていた部分があったと思う。
でも今はあきらめなんかしない。
マリーが回診のスケジュールを確認して、「しばらく静かに過ごしたいから」と看護師に頼む。
道具箱の中からブレンドしたオイルのボトルをとり出し、それを手のひらにとって、こすり合わせるような仕草をする。部屋の中が植物の精油の香りで満ちた。
その手をセレスティンの頭と手首、足首に当て、それから体には触れずに包むように手を動かす。自分のフィールドに香りが染み込み、植物の精たちの存在が感じられる。
ルシアスのそばに椅子を置いて座る。
「一緒に行かなくていいか?」
「大丈夫。一人の方がルシアスを感じとりやすいと思うし」
「じゃあ まず様子を見に行くつもりで行け。何か問題があったらすぐに戻ってこい」
「うん」
ルシアスの手をとる。彼の冷えた指先を包んで温める。
目を閉じて意識を広げながら、一点に向ける。
タロット[タロー]カードのイメージを通して二つ目の世界に渡るのではなく、ルシアスの「質」を思い出し、彼の存在を自分の中に呼び覚ます。
この体の持ち主はどこにいるの……私の大切なひとは……。
彼の存在が、どこか遠いところから感じられる……宙を漂う香りのように……それを追って意識が向こう側に引き込まれた。
しばらく足を踏み入れていなかったけれど、二つの世界の間を渡る、馴染みのある感覚。
ただ行き着いた場所は、灰色の雲のようなものに囲まれた空間だった。
馴染みの森や生き物たちの気配は感じない。方向も分からない。かろうじて上と下はわかるように思うけれど、確かじゃない。
「ルシアス――?」
呼びかけてみる。
反応はない。
この世界のどこかに彼がいるのは感じる。でも、彼までがすごく遠いような……。
それから二つ目の世界の距離の感覚は、普段の世界とは違うことを思い出す。
自分は地面を歩くようにして移動することを練習していたけれど、テロンは記憶と感覚を使って一つの場所から別の場所へと移動していた。
テロンもマリーも、セレスティンがルシアスのことを思い起こして、彼の存在を強く感じ続けることができれば、彼のもとにたどりつけるはずだと考えていた。
彼は確かにこの世界にいる。それなのに届くことのできないもどかしさ。
マリーは、何かが彼を足止めしているのではと言っていた。
だとしたら、それは何だろう?
彼が心のどこかで、体のある側に――人間の世界に――戻りたくないって思ってる?
そんなことはないとは言い切れなかった。
自分も過去に愛していたひとを失った時には、もう死んだ方がいいと思っていた。そしてつい昨日まで、ルシアスが戻って来ないならもう生きていてもしょうがないと、心のどこかで感じていた。
ずっと前に、初めてルシアスの部屋で眠った夜のことを思い出す。その時、彼が心の深いところで、言葉にできないくらい悲しくて苦しい思いを抱えているのだと知った。
でもそれから自分と一緒に時間を過ごして、少しずつ彼は変わっていくようだったし、マリーやテロンや、そしてエステラと過ごすのを心から楽しんでいたようだったし、昔のことはもう忘れられているように見えた。
でも……そうじゃなかったのかな……。
だとしたら、どうして気づいてあげられなかったんだろう。
ううん、自分が気づけなかったことを悔やんでも仕方がない。
ルシアス あなたが何を心の底に抱えているんだとしても、私は一緒にいたいの。
記憶を探って、ルシアスの声や、表情や、仕草を思い出す。
彼と過ごした時間……優しい眼差し……交わした言葉……彼の手が自分の手を握る感触……。