会議の前の昼食は、エステラの希望でミッドタウンにあるにぎやかなダイナーでとった。窓際のブース席に座ったが、忙しい昼時なこともあって、たくさんの会話がまわりの空間を埋め、合間に厨房とウェイトスタッフのやりとりの声が入ったりして、まるで雑踏だ。
ウェイトスタッフに注文を伝えた後、会話はほとんどなく、三人はそれぞれに何かを考えている。このざわめきを、エステラはホワイトノイズのように使っているのだと気づいた。
グリルサンドイッチやサラダの軽い食事を終えた後、「ダイナーのコーヒーは豆の煮汁」と言うテロンにつきあい、別の場所で食後のコーヒーを飲む。メニューにアイスクリームを乗せたペカンナッツのパイを見つけ、それを食べながらセレスティンは訊いた。
「これから戻るの?」
「いや 会議は人数が多いんでな、別の場所を使う。ここから遠くない」
向かったのは、ミッドタウンにあるクラシックな作りの建物だった。ロビーは19世紀風の内装で、あのエルドマンという真面目そうな雰囲気の人が待っていた。
クロークにコートを預けた後、三人はセレスティンとマリーを残しホールの控室に向かった。
「どうぞ 入り口はこちらです」
「ありがとう ええと……」
「リチャードと呼んでください。お二人の付き添いを務めます」
「私たち、付き添いがいるの?」
思わず訊くセレスティンに、リチャードが笑う。
「オフィサー・オディナからは護衛だと言われています。もし何かあった場合に、お二人に面倒が及ばないようにするためです。
お二人には部外者のオブザーバーとして後ろに座っていただきますが、目を留める者もおそらくいますので、それを追い払う役目もあります」
そう説明しながら、マリーとセレスティンをホール後方の離れた位置に座らせた。
ホールには三つ扉があるが、前と後ろは閉め切られて、人々は真ん中の扉から入ってくる。時おり入ってすぐ、何かに気づいたようにこちらを見る人がいる。近づいてこようとして、いかにもボディガードの雰囲気を発して立っているリチャードに気づき、そのまま戻っていく人もあった。
席が埋まるにつれ、部屋の空気が密度を増していく。それは圧力のように肌を包み、ほとんど息苦しい。
セレスティンはマリーの耳にささやいた。
「フィールドの密度が濃くて、手で触れそう……目でも見えそう」
「全員が一定レベル以上の実践者だから……普通の人間よりずっと強いフォースをもった人たちがこれだけ集まると、さすがに壮観ね」
「人間のフィールドの大きさや色が見えるように感じるのも、そのせい?」
「そうね 部屋のフィールドの密度が高いせいで、目に見えないものを見る力も一緒に引き上げられているのね」
「マリーは三人と一緒にいなくていいの? 四人で集まっていると、すごくバランスがいいのに」
「ええ 意図的にバランスを傾けておきたいみたい。
まわりの様子に注意していてね。これだけフィールドの密度が濃いと、場合によっては現象化のようなことも起きるかもしれない」
すべての席が埋まり、前の方にガブリエルの姿が見える。彼は壇には登らず、その前に立って開始を告げた。そう言えば指導者が決まるまでの代理だと言っていたっけ。
ガブリエルが、指導者不在に到ったこれまでの経緯を報告する。おそらく、そのことはすでにみなに知られていて、ただ形式的な確認として話しているようだ。
そして「託宣者から新しい方針についての発表がある」と告げる。
壇上の中央にはエステラが座っている。流れるようなペールブルーの着衣をまとった彼女からは、高貴で毅然としたフォースが放たれている。彼女より少し下がって、向かって右にテロン、左にルシアスが座っている。
テロンは腕を組んで椅子にもたれ、鋭い視線を人々に向けながら、いつにも増して強面な雰囲気を発揮している。ルシアスは静かな視線で人々を見ているが、その透徹した雰囲気が逆に不思議な威圧感になっている。
二人のフォースは翼のように大きく広げられ、エステラを包む。
エステラが口を開く。あいさつや前置きのようなものはなく、オルドの新しい方針について挙げていく。
近年に始まり、いつの間にかオルドの構造の一部になっていた、政界や経済界とのつながりを切る。それらの関係者から助力の依頼を受けることを止め、その面での影響力を手放す。
そこまで彼女が話した時、前の方に座っていた人たちのフィールドがどよめくように揺れた。あれはきっと、実際に政界や経済界とつながりを持っている人たちだろう。
エステラが続ける。
それによって政界や経済界との折衝などの役職を不要とし、大きくなり過ぎた組織としての枝葉を落とす。そして受け継がれてきた知識の保存、集積、伝達と参入者の訓練という、世界の秩序を保つ場所[オルド]としての根幹的な機能に立ち返る。
その言葉を聞いて、多くの人たちのフィールドが明るくなった。それはとくに後ろの方に席を占めている若い人たちに目立った。これまで「変えることができない」と信じていた構造が壊されて、新しいものが生まれることができる。その希望の色だと思った。
落胆の色を見せている人たちもいる。それはきっと政界や経済界とのつながりを、自分もいずれ利用しようと思っていた人たちだろう。
前の方に座っている幹部や上の立場と思われる人たちの反応は入り交じっていた。内側からろうそくで照らすような落ち着いた安堵の色を見せる人も、戸惑いや不安の濁った色に染まる人もあった。
そして明らかな不満や反対を表現しているもの。その人たちのまわりに、暗いわだかまりや抑圧された赤黒い怒りが渦巻き始める。
複数の人たちから流れ出た赤黒いフォースがじわじわと集まり、生き物のように宙を動き始め、セレスティンは目を見張った。それは巨大な肥大した蛇の形になって、エステラに向って行く。思わず声が出そうになる。
テロンがなぎ払うように素早く腕を振った。手には見えない剣が握られている。巨大な赤黒い蛇は炎に包まれて宙をのたうち、燃えて散り散りの灰になり、人々の上に降った。
「感情の制御もできずに幹部づらか! 新参として一から修業をやり直して来い!」
テロンが傲然と一喝する。それは意図的な挑発のようだった。
最初に赤黒いフォースが湧いたあたりから、さらにどす黒い霧が湧き上がる。それは伝染するようにまわりに広がり、不安や葛藤の色を見せて揺らいでいた人たちを巻き込んでいく。揺れるフィールドから力を集めて大きくなりながら、黒い霧は生き物のようにテロンとエステラに向かう。
ルシアスが静かな仕草で空間を払った。天井から光の雨が降り注ぎ、それにうたれて黒い雲が見る見る消散していく。
透視者の女性たちが顔を見合わせながら、感嘆したようにささやき合う。
エステラも目の前のことを見ているはずだけれど、怒りに染まった大きなフォースが自分に向けられても、まったく動じていない。何が起きても、テロンとルシアスに任せておけば大丈夫だと知っている。
他の人たちの目にも現象は見えているようだ。みんなの間にざわめきが広がる。
「幹部なのに……」
「幹部でさえ……」
白魔術教団で一定の地位を占める人間たちが権力への執着に負けて、その暗い衝動を制御し切れなかったことに、多くがショックを受けているようだった。
波のように広がる動揺に揺さぶられ蓋が開いた。人々の葛藤や、それまで抑圧され隠されていた感情が目に見える形をとり始める。
リチャードが、セレスティンとマリーの前に壁のように立つ。暴風が厚いガラス戸にせき止められるように、二人のまわりの空間が静かになった。
ホールの中では、さまざまな感情を乗せたフォースが広がり、分裂し、また交じり合って、化学反応を起こすように色や形を変えた。散り散りになった無数のフォースがぶつかったり混じり合い、結合してはその中から別の形が現れる。
それを繰り返しながら、最後に二つの形が残った。それは白と黒の生き物のように見えた。
白い方がずっと大きい。それは超然とした秩序と理性、意志の力を感じさせる。
黒い方の存在は渾沌としていて、その中に追いつめられた必死さと不敵な決意が感じられる。
黒い生き物が素早く動いて襲いかかったが、それを白い生き物が押さえつけ、黒い頭を容赦なく呑み込んだ。黒い生き物は激しくのたうち、逃げようともがいていたが、やがて動きが止まる。
幾筋かの黒いフォースがその体から抜けて飛んでいき、残された体からは黒さが薄れ、生命感がなくなって灰色に変化し、最後に白い生き物によって吸収された。
白い生き物は輝きを増し、ホールの中を占めるほどに大きくなったかと思うと、形がなくなり、再びフォースの状態になって空間に広がった。
エステラがこちらを見る。マリーはその視線をとらえて立った。床に膝をつき、大地を抱くように両手をつける。彼女が低く歌うように祈りを唱えると、それに答えて足の下の床が振動する。床は単なる床ではなくて、母なる大地のからだそのものに感じられた。
部屋に広がっていたフォースが落ち着き始める。雨の後の森のような匂いが空気を満たす。人々が不思議そうに首をかしげながら、それでも深い息をつくのがわかる。
しばらくしてエステラが再び口を開き、新しくオルドの運営を行うメンバーを明日までに選任すると告げる。その声は、大多数のメンバーの明確な同意をもって受けとめられた。
セレスティンは、たった今、目の前で繰り広げられたことに興奮しつつ、でも、こういう現象は普段は目に見えないだけで、きっとあらゆる場所で起きているのだろうと思った。
ガブリエルの声が会議の終わりを告げる。人々が席を立ち、互いに話し合ったり、連れだってホールを出て行く。
その響きの中、三人は静かに壇上の袖に姿を消した。