6. 印[シギル]

 ジレは冷房の効いたホテルの部屋から窓の外を見ていた。
 空は青く、陽光は目を刺すほどにまぶしい。雲ですら、まるで後ろから強い照明でも当てられているように白く輝いている。
 外に出れば日差しが熱く照りつける。
 初秋のニューヨークでは、気温が心地よく冷え始めていた。そこから突然、この真夏の気候に放り込まれ、ジレはややうんざりしていた。
 エルドマンは、フレイの住む場所をホノルルのダウンタウンだと調べてよこした。
 ガレンや教団の人間には「短い休暇」と説明し、ハワイ行きの飛行機に乗った。浮かれた観光客でひしめく島を訪れるなど、これまで一度も考えたことがなかった。
 ニューヨークからホノルルまでは、東海岸から西海岸まで大陸を横断し、さらに太平洋の真ん中まで11時間かかる。ニューヨークからはパリまでが7時間で、ヨーロッパの方がはるかに近い。
 なるほど。身を隠すなら、このアメリカの僻地とも言える場所はぴったりかもしれない。
 ホテルはワイキキの喧騒から少し離れた場所にとった。ここならフレイがいるダウンタウンから遠くない。
 ホノルルに着いて、具体的にどうするという計画があったわけではない。どんな行動にもあらかじめプランを立てて望むジレにしては、それは珍しいことだった。
 ベッドに転がり、白い天井を見る。
 自分は本当にフレイとオディナのことを確かめたかったのか。
 それもある。
 しかしもっと強く注意を引くもの。
 自分の考え通りなら、フレイがいるところにオディナがいる。そしてあの娘がいる。
 自分の望みはむしろ、あの娘を探すことだった。もちろんそれはエルドマンには伝えてない。
 この人口30万人の都市で、向こう側の世界で顔を見たきりの、名前も知らない一人の娘を探す。
 普通に考えればそれは不可能に近い。
 しかし魔術の道に携わるすべての者が知るように、ジレは、物質世界の現象の背後にあるつながり、流れ、布置の存在について知っていた。
 それを自分の目的と意志に沿って動かすこと。同時にそれらが指し示す方向を見極め、タイミングを知って、目的のために最大限、効率的に動くこと。
 これが魔術の実用的な使い方というものだ。
 魔術について研究し本を書くだけの人間と、魔術を実践する人間の違い。それはこのつながりと布置の存在を確信し、そこに自分のゴールの達成を賭けて、自分の力を注ぎ込むことができるかどうかだ。
 もちろん、布置を読み間違えれば、その賭けは予想もしなかった災厄につながることもある。時には個人の力では可能ではない形で運命を狂わせることすらある。
 19世紀の魔術教団の歴史は、そんな例であふれている。
 しかし賭けなければ、何も与えられない。大方の人間がそうであるように、ただこの世界のルールや状況に縛られ、押し流されていくだけだ。
 ジレは自分の正しさと力を確信していた。そして布置を読み、行動を起こす自分の能力に自信があった。
 自分とあの少女の間には、何らかのつながりがある。そしてだから必ず手がかりをつかむことができる。
 そのためには、自分の意図を明確にし、焦点を絞って、そこに力[フォース]を注がなければならない。
 フレイとオディナは足がかりだが、目的ではない。自分がここに来た目的は、あの娘に会うことだ。
 そのことが自分の中で認められ、とらなければならない道がクリアになる。
 ジレは起き上がり、椅子に腰かけた。
 呼吸を整え、意識を静め、しばらく黙想する。
 それから自分の意図を明晰な言葉に形作り、一つの句として納得がいくまで練り上げた。
 スーツケースの中から羊皮紙をとりだして机の上に広げ、完成された句をインクを使って書き落とす。
 意識を完全に集中しながら、書かれたアルファベットの輪郭を抽出し、それを象徴的な線へと変化させ、別の羊皮紙に書き移していく。
 作業を重ねるごとに、自分の意図を表した言葉は線で描かれた図形となり、それが組み合わされて、自分の望みを表す印へと変化していく。
 作業が進み、意識の集中が強まり、とりまく力[フォース]が集まり始めるにつれ、自分自身の意識も変化していく。
 意識の中の最後の迷いが締め出され、望みは強く、明晰に自己の中心に座す。
 できあがった印[シギル]に強い力[フォース]を吹き込んで、無意識の中へと落とし込んでいく。
 自分個人の無意識から、今、自分がいるこの都市の底を流れる集団の無意識へと。
 いったん解き放たれたシギルは、作り手を離れて働き始める。
 行け……行って、あの娘を探せ。