7. 魅惑者[カリスマ]

 シギルは手を離れた。あとはしかるべきつながりや動きが、意識の届かない場所で形成されるのを待つ。
 シギルを用いるプロセスについて学んだばかりの頃には、それが実際の結果をもたらすと確信できるまで、様々に試した。
 そしてそれが確かに力を持つと納得してからは、実際に使うことを選んだ場面はそう多くない。
 通常の方法で達成できることには、魔術的な手法を用いるべきではない。怠惰や乱用は魔術のプロセスから力を削ぐ。
 シギルは無意識の非論理的な世界の中で働く。だから人間の心、とりわけ思考の介在はむしろその働きの邪魔になる。
 手順は終えた。あとはそのことは忘れて、待つだけだ。
 気分を切り替えるため、ルームサービスでミネラルウォーターと氷を届けさせ、タブレットを手にソファに腰を下ろす。
 メールをチェックし、世界情勢やアメリカ国内の政治経済のニュースに目を通す。
 いつも一人で過ごす時のように計画や分析に時間を使ううちに、作業のことは意識から外れていた。

 ガブリエル・ジレはニューヨークのブロンクス地区で生まれた。マンハッタンやロングアイランドなどとは、まるで別の世界だ。
 世界中の膨大な富がマンハッタンに集まり、それを巡ってパワーゲームが繰り広げられる傍らで、社会的、経済的に圧迫された移民や非白人が多く住む地域。
 そんな環境の中に生まれながら、ジレは幼い頃から、自分は他人と違う存在だと感じていた。自分がこの世界に生まれたことには重要な意味があると思った。
 だが幼い彼の考えに注意を払う人間は、生活に追われる親も含め、まわりにいなかった。
 9歳の時に母親が死に、父親は行方が知れず、施設に入れられた。施設を訪れた裕福な老夫婦がジレに目をとめ、養子として引きとられた。
 その時のことを養父母は「私たちを見つめる天使のような子供を、そこに置き去ることはできなかった」と、知人に語っていた。
 アップタウンに居を構える富裕な養父母のもとに移り、ジレの生活は一変した。
 新しい環境に移り、そこで自分をとり囲む人々の態度から、ジレは、どこに行っても自分の存在が人の注意を引くことに気づいた。
 容姿も優れていたし、学校での成績もずば抜けてよかったが、そういった外面的なもの以上の何かに、まわりの人間たちは惹きつけられるようだった。
 誰もがジレを好かずにはいられなかったし、何かを求められた時には、それに逆らうことはできなかった。
 思春期を過ぎる頃には、まわりの少女たち、時には大人の女性たちも思うままになった。
 しかし自分に引き寄せられて来る人々を好きに動かすことは、やがて退屈なゲームになり、興味はもっと大きな世界へと向いた。
 大学では政治と経済を学んだが、それは政治家だの実業家になることは、自分が求めている道ではないとわからせただけだった。
 自分はこの世界で果たすべき重要な役割を持って生まれてきた。そのためのより優れた道筋があるはずだ。
 そして行き着いたのが白魔術教団だった。
 大学生のジレは「参入には若すぎる」と言われたが、先代の賢者[マグス]の判断で特例が与えられた。あの時、賢者は彼の目を見て、何かを考えるような表情をした。
 ジレの若さは持ち前の魅力と合わせ、まわりの人間たちの懐に入ることを容易にした。
 精神的な道のりを歩み、深い内省や自己分析を行いながら修業をする参入者たちであっても、ジレの惹きつける力には抵抗できないようだった。
 それから、ふとあの娘のことを思い出す。
 何の特別なこともない、普通の若い娘。
 力[フォース]の強さも大したことはなく、訓練も生半可なようで、感情の動きも丸見えだった。
 それが真っすぐに自分を見つめ返し、自分の言葉に逆らい、気に入らないことを気に入らないと言い返してよこした。
 自分に対してそんな態度をとる者は、これまでなかった。
 感情の動きが丸見えなだけ、彼女の言葉と感情にかい離がないのもわかった。それは人間の偽善というものに慣れ切ったジレには新鮮だった。
 苦労知らずの向こう見ずさだろうとも思った。
 だが後から思い返すほどに、彼女の存在は純粋で、その目はこの世界の汚れによって曇らされていないと感じられた。
 向こう側で見た時には、彼女の目は空のようだった。それは実際にそれほど澄んだ青さなのか。
 自分と面と向かって会った時、彼女はどう反応するのか。自分の声に、どう応えるのか。
 他の多くの人間たちのように自分の存在に引き寄せられ、思う通りになるのか……とりわけ女性たちのように。それとも……

 気がつくと、窓の外は暗かった。日が沈み、気温もそろそろ下がっているだろう。
 ホテルの外に足を踏みだすと、強い風が吹く。
 誰かに、あるいは何かに自分が見られていると感じた。
 立ち止まってあたりを見回す。
 暗い空を見上げ、気配を探る。