13. 眷族[ファミリア]

 

 天の海[ラニカイ]は島の東側にあるので、夕暮れの空の色の変化は穏やかだ。青い空が少しずつ光を失い、雲をごく淡いピンクやオレンジに染めながら、静かに暮れなずんでいく。
 その砂浜を二人で歩く。エステラと海岸を散歩するのは、セレスティンにとってとても楽しみな時間になっていた。
「このあいだ、『自分個人のためじゃないなら、二つ目の世界の住人の助けを借りることもある』と言ってたでしょ。
 その住人たちっていうのは、風の精とか植物の妖精? そういった生き物の助けは、自分のためだけには借りられないの?」
「それは相手によるわ。
 マリーが植物の精たちと仕事をしてるのは知ってるでしょ。彼女が植物たちにとっての最適な環境を整え、代わりに植物の精たちは彼女に手を貸す。
 そういった作業なら相互の関係を結んで、助けてもらったり好意を受けとるもできる。相互というのは、人間の側が受けとるだけじゃなくて、それに等しい何かを返すことね。
 でも植物の精は植物のことしかしないし、庭でつむじ風を作ってる小さな風の精が、人間の世界に影響を与えるのにできることなんて、あまりないでしょ。
 大きなことで助けてもらうには、それよりはるかに大きな存在の手を借りる必要がある。
 そしてそういった存在たちは、人間の純粋に個人的な目的のために手を貸すことはない。それが自然界の秩序を保ち、生命の進化を促すことにつながるのでなければ、相手にはされないわ。
 時には彼らが特定の個人に好意を与えたり、手助けをするように見えることもあるけれど、それはその個人を助けることが、長期的に彼らにとって重要な目的に役立つ時。
 そして彼らの時間の感覚は、人間とは比べ物にならないぐらい長い。
 そういう大きな存在の中に、元素霊[エレメンタル]を統べる存在たちもいる」
「エレメンタルは四大元素の精?」
「ええ。西洋ではパラケルスス以来、火の精[サラマンダー]、水の精[ウンディーネ]、風の精[シルフ]、土の精[ノーム]という名前を使うのが伝統だけど、実際には微細なものから大きなものまで、たくさんの種類がある。
 そのたくさんの存在をまとめて火の元素霊[エレメンタル]、水の元素霊[エレメンタル]というふうに呼ぶの。
 シルフやウンディーネはサイズ的にも人間の目に入りやすいから、よく知られている。だから今ではそれを総称みたいに使うけれど。
 エレメンタルには人間の体を構成している微細なものから、巨大なものまでいるわ。でも小さすぎるものには人間たちは目を向けないし、大きすぎるものにもかえって気づかない。
 エレメンタルたちの大きな単位を統べるような存在は主[ロード]と呼んだりするわね。
 小さなものたちは、個体としての意識はあまりないけれど、大きな存在たちは人間で言う人格に相当するものが発達している」
 ふいにセレスティンの頭の上から白く小さな花がぱらぱらと落ちてきた。ジャスミンの甘い香りが散る。
 エステラが笑う。
「ルシアスの眷族[ファミリア]ね」
 セレスティンは上を見上げた。
「いつもはルシアスのそばで見るんだけど、時々こんなふうに、私のことをかまいにくるの。チェシャ猫みたいに顔があるの、見える?」
「ええ まだ幼いシルフね。人格というほどのものも発達していない。これぐらいのシルフは、普通はそれより上の大きな存在に管理されているものだけれど、たまにこんなふうに、好きにふるまうことを許されているのもいるわね」
「それはどうして?」
「全体のルールからはみ出すような個体が、時にはシルフたちの進化に役立つことがあるらしいの。大多数のシルフは風の精らしく働いているけれど、それ以外に少し変わったタイプも育てて、進化の可能性を探っている。そのへんは地上の生物の進化と同じね」
「シルフがルシアスについてまわるのは、彼の性格が風の質だから?」
「そう。エレメンタルたちの働きは種類によってさまざまだけれど、どれも属する元素の性質が反映されている。そして自分たちと同じ元素を強く明晰に表現する人間に共振するの」
 話の途中で、すでに飽きたようにシルフはどこかへ行ってしまった。
「飽き性なんだ。イルカみたい。でもルシアスは飽きやすい性格には見えないけど?」
「それね。人は特定の性質を持って生まれる。それは長所と短所の組み合わせ。だから人間として大きくなるには、長所は伸ばし短所は修正する。
 風の質を持って生まれた人間には、風の質のプラスとマイナスの両面が備わる。風の力を制御することを覚えたいなら、プラスの部分は強め、マイナスの部分は削り落とす。
 ルシアスはそういうふうに、自分で自分の人格を鍛えてきたわけ。だからちょっと見には風の質だとは分かりにくい。
 もちろん、風の質の奥にある彼の個性というのもあるけれど。
 人の中に四大元素を見るのも、「人は特定の元素に生まれてついている」というような宿命論ではないの。
 占星術を占いみたいに使う人たちがいるでしょ。占星術の本来の役割を知らずに、それが自分の性格や人生について当たるかどうかだけに興味がある。
 でもね、占星図[バースチャート]というのは、人が生まれたまま何の努力もせずに生きた場合には、こういう性格表現になり、こういう人生になるというだけの見取り図なの。
 人が自分を磨いて変えていけば、占星図に描かれているのとは異る人生を歩むことができる。
 占星図という見取り図の目的は、どうやってそれを超えていくかであって、それに縛られることじゃないの。占星術師の本当の仕事は、人を運命の枠にはめ込むことじゃなくて、自分の運命を超えていくのを助けることなのよ」

 マリーの庭に足を踏み入れると、テロンが本を読んでいた。近寄って背表紙を読む。すり切れた布地に箔で押された文字が『易経[I Ching]』と読めた。
 エステラから教わるようになり、テロンやルシアスの世界が少しずつ見えてきて、そしてなぜ彼らがセレスティンを本当にゆっくりとしか、その世界に触れさせなかったのかがわかってきた。
 呑み込めないほど大きなものを、あせって噛みとろうとしないように。ただ信じるのではなく、自分の手で触って確かめ、考えながら前に進めるように。
 そう言えば前にテロンと話をしていて、生き物の気配が足に触れたことがあった。のぞいた時には姿は見えなかったけれど。
「テロンのそばにはサラマンダーはいないの?」
「燃えるトカゲが見たけりゃハワイ島の火山にでも行け」
 すげなく言う。
 でも彼の片手が本のページを押さえる。さりげなくもう一方の手が上げられて、ぱちりと指が鳴る。
 一瞬、宙に透明な炎のようなものが揺らめく。その中から二つのルビーみたいな……目? 
 わずかに遅れて波のように熱気が広がり肌に触れ、それも消える。
 テロンは何事もなかったように、本の続きを読み始める。
 


(続く)