暗い森の中。背の高い木々が上の方で枝を茂らせ、葉が重なり合って、光があまり入らない。湿った空気と少し土臭いような森の匂い。
あれから道を下って麓に降り、そして森の中に踏み込んでいた。
メディテーションをするたびに、前に終わったところから続きが始まる。少しは道を進んでいると思うけれど、実際にどれだけ進めているのかわからない。
どうなっちゃうんだろう。このまま森から出られないとか、あるのかな。
「そんなことはないはず」という思いと、「でももしかしたら……」というわずかな不安と、そして焦りを感じる。
これは自分でやっていることのはずなのに、一度こちら側に入ってしまうと、自分の意志で思うように動くことができない。
まるで夢の中のように、自分以外の何か、それとも自分の中の別の部分が、何がどうなるのかを決めているみたい。
そしてわけもなく不安に襲われたり、迷ってしまって途方に暮れる気分を味わったり、「どうしてもっと早く先に進めないんだろう」という焦りとフラストレーションを感じる。
そういった感情は、普段はあまり意識したことがなかった。でも心の深いところでは、本当はこんなふうに感じているということなのかな……。
焦っているというのは、確かにそうかもしれない。エステラが帰ってしまう前にできるだけ先に進まなくちゃいけないのに、いっこうに進めている気がしない。
ふうっとため息をついて足を止め、木にもたれる。上を見上げて、これは何の木だろうと考える。地面の上の葉っぱを拾う。多分、ブナ[ビーチ]の仲間。
何かが上から落ちてきた。ぽとっと頭の上に乗る。昆虫かなと思い手を伸ばすと、それは手の甲にぴょんと乗ってきた。
小さな緑色の帽子をかぶっている……これ、木の精?
ふわふわとした黄緑色の帽子は、右半分がビーチの雄花みたいで、黄色い葯のついた雄しべのようなのがたくさん出ている。左半分は雌花みたいで、細い赤い毛がつくつくと伸びて、その中に黄色い雌しべみたいなのがある。服はビーチの葉をかがって作ったものみたい。
小さな生き物は身軽に跳ねてセレスティンの髪につかまり、そこから頭のてっぺんによじ上って、合図をするようにぽんぽんと叩いた。
「進めっていうの?」
ビーチの木の妖精らしいものを頭に乗せて、また歩き始める。落ちないかなと心配したけど、ちゃんとつかまっているようだ。
そうやって暗い森の中を歩くうちに、なんだかいろんな感情が湧いてきた。
ちょっと情けなかったり、悲しかったり、腹立たしかったり。
なんでこんなこと感じてるんだろう。
湧き出す感情を感じていると、自分へのいろんな決めつけの言葉が浮かんできた……「前に進めないのは努力が足りないんだ」「これまでは幸運だっただけ」「本当はこれ以上進む力なんてない」……。
自分を咎める言葉がいくつも湧いてくる。
妖精がぽんぽんと頭を叩いた。声が聞こえた気がした。
(完璧じゃなくていい)
(自分の中のいいところを信じろ それで十分)
「うん……」
歩き続けると、やがて森の質が変わった。ここまではずっとビーチの森だった。ここから木の種類が変わっているということは、とりあえず進んでいるってことだよね。
妖精はセレスティンの髪をつたって肩に降り、ぴょんと地面に飛び降りた。
「そっか ビーチの木の妖精だから、ここまでなの?」
生き物はうなずき、手を振った。
「ありがとう」
遠くでアラームがなる……。
メディテーションをするたびに、少しずつ森のどこかからどこかへ進んでいる。それはまわりの木の種類が変化することでわかった。
そしてセレスティンが迷ったり、立ち止まっていると、どこからか動物や鳥や昆虫や、時には植物の精が現れ、しばらくの間、一緒についていてくれた。
どこに自分がいるのかわからなくても、少なくとも自分は一人じゃない。
道の前方でまた森の雰囲気が変わる。細くて背の高い木がずっと並んでいる。薄くつるりとして、ところどころ水平に切れ目が入ったような樹皮。葉っぱの形はヤマナラシ[アスペン]の仲間かな。
枝と葉のあいだから空が見えると安心したのもつかの間、空がみるみる曇り始め、あたりが暗くなる。何か不吉な感じがして、胸がどきどきする。
いつかテロンが言っていたことを思い出した。「マリーの庭でお前と遊んでる細かいやつらは、無邪気で無害なものばかりだ。だが目に見えない領域にいるのは、そんなものばかりじゃない……人間の世界が善人ばかりじゃないのと同じで、無害じゃないやつらもいる」……。
まさか、ここでそういうのと出会うってことはないよね?
でも何だか分からないけど、胸の中がざわざわとして、不安な気持ちが湧いてくる。
これって不吉な予感ていうこと? まさか熊が出てくるとかありえる? どうしよう……引き返した方がいいのかな……
立ち止まってあたりを見回す。
風が吹いて木の枝を揺らし、ざあっという音に緊張して体を固くする。
風はセレスティンの前に降りると、くるりと渦巻きを作った。
あれ……これはいつも見るあのシルフ?
シルフが見慣れたチェシャ猫の表情を浮かべ、ほっと胸をなで下ろす。
そうか、シルフたちは、こちらと向こうを自由に行ったり来たりできるんだ。それとも、もともとこっちに住んでいるということなのかな。
向こうの世界で見るよりもずっとよく姿が見える。人間ではないけれど、すらりとした人間ぽい形で、青みのある透明な体なのか服なのかが、さらさらとたなびく。
「いっしょに来てくれる?」
シルフがセレスティンのそばを回りながら移動する。気がつくと他にもたくさんのシルフたちがいて、泳ぐようにアスペンの枝の間を渡り、その動きにつれて葉が風に鳴る。
進むにつれて少しずつ空が明るくなってきた。
やがて森の天井が開けて明るい光が差し込み、カケスの声が聞こえた。ナラ[オーク]のがっしりとした幹が目に入る。
ここからはオークの森だ。木と木の間に空間があり、ゆったりと広げられた枝の間から明るい空が見えて、なんだかほっとする。
お礼を言う間もなくシルフたちは枝の間を抜けて空に戻っていった。
オークの枝には鳥たちがとまり、おしゃべりをしている。地面にはたくさんのドングリが落ちていて、それをシマリスが頬袋に押し込んでいる。向こうの方では鹿たちもドングリを食べている。
オークはセレスティンの好きな木だった。
たくさんの鳥や動物や昆虫たちを宿して支える、大きな存在。雷の神様の愛する木。
1本の大きな木の下に座って、幹にもたれる。どっしりとした幹が自分の背中を支えてくれる。
どこに行っても自分は一人じゃない。支えてくれる誰かがいる。
進んでも進んでも終わりのない森の中をさまようのを、止めたいと思ったこともちょっとあった。道を飛ばして先にいけないかなと思ったこともある。
でも今はもう、そうは思わない。
遠い目的地にたどり着くことは、もちろん忘れていない。
でもその途中の道のりも、自分にとって同じくらい大切なんだと思った。
(続く)