25. 守り

 乗馬クラブの近くにあるトレイルの入り口に車を止める。考え事をしたい時には一人でここに登る。
 人気のない朝早く、山頂までの急勾配の道に並ぶ木の枠組みを上がっていく。はなから人間が歩くように作られた道ではない。軍用の鉄道計画が放棄され、その後に残された線路の構造だ。
 クレーターの頂上に着き、テロンは風に吹かれながらコオラウ山脈を眺めた。
 ハワイの島々はどれも火山活動から生まれた。今は緑に包まれているオアフ島も例外ではない。
 コオラウの山並みは竜の背だ。東洋の水の神としての竜ではなく、西洋の火の守護神としての竜が眠っている。
 オアフの火山は休火山だが、それでも火の元素霊[エレメンタル]たちは活動を休んでいない。今も噴火中のハワイ島ほどではないにしろ、火山岩でできた島らしく生気に満ちている。
 四大元素のバランスが、おそろしくよくとれた島。この島の自然の豊かさもそれに起因しているのだろう。
 山頂の風を受けながら、意識を澄ませる。
 自分の存在に反応し、火のエレメンタルたちが集まってくる。
 元素霊[エレメンタル]たちは、人間の中の元素[エレメント]に反応する。
 人間は最終的にエレメンタルたちにを支配することはできない。しかし人間の側に明晰で強い内的な整合性がある時には、エレメンタルたちに影響を与えることができる。
 自分自身を整え、同時に世界をエレメンタルたちの目で見、彼らと共存することを学ぶ。それは呪文や儀式をふりかざしてエレメンタルたちを支配し命令しようとするよりも、自然で有機的なやり方だ。
 現代の西洋魔術の方法論は、型としての呪文や儀式の類いに依存しすぎるとテロンは思っていた。
 多くの志願者は自分自身の内面を磨くよりも「効果の高い儀式や呪文」を求め、しかし型の通りに儀式を行っては結果を見ることができず、首をかしげる。
 儀式とはあくまで、本人の内的な力を引きだすための手段だ。
 もちろん、歴史のある集団で長く使われ続けてきた儀礼や儀式には、それなりの力がある。
 だがそれも、多数の人間がその儀式を信じて繰り返すことで集合意識の中に蓄えられてきた力を借りるのだ。特定のステップを踏むことで、膨大な力を集団の深層意識から引きだし、個人の器に注ぐ。
 そういうやり方は人格の構造に非常な圧力をかけ、時にひびを入れる。
 だがそういった問題も、教団から足を洗い、もう自分の関わるところではないと思っていた。
 しかし今となってエステラの直感が「用心しろ」と言う……彼女の言葉から推すに、理由は教団内の動きである可能性が高い。
 とすればガレンか。やつが俺やルシアスのことをまだライバル視しているというのは、ありそうなことだ。そしてエステラが俺たちを呼び戻そうとしていると疑っている、というのがそれらしい筋書きだな。
 結局こういうところに行き着くのか。
 19世紀から20世紀前半の魔術教団の勃興と、その中での派閥争いや分裂を思い出す。
 だがそれだけなら、ガレンが目を向けるのは俺とルシアスのはずだ。しかしエステラはセレスティンを注意深く隠そうとしている。メールや電話での連絡もさせないほど。
 俺たちとの関わりが、セレスティンを教団の動きに巻き込むということなのか。その点は確かに注意が必要だし、もう少し情報が要る。
 それからセレスティンのことを考える。
 次のステップに踏み出す準備はできている。ただあいつの性格から、問題は、害のあるものを見た時にそれを見分けて対処する力だ。
 思案するテロンの足に、火の精[サラマンダー]が体をすり寄せてきた。
「お前らをつけるか」

 マリーの家に来いとテロンから電話がかかってきた。
 庭ではマリーがテーブルにお茶を準備して待っていた。
「これを飲んで一息入れてね。彼はリビングにいるわ」
 お茶を飲み終わってリビングに行くと、テロンが暖炉の前に座っていた。こちらを見て、隣の椅子に座れと指し示す。
 薪にはまだ火がついていないのに、熱気を感じて少し汗ばむ。足下にも何か温かいもの……。
 マリーが入ってきて、セレスティンの隣に少し距離を置いて座る。
 テロンは手際よく暖炉に火をおこし、しばらく見つめていた。
 それから火に向って呼びかける。英語ではない。フランス語やドイツ語でもない、古い言葉の響き。どこか音楽的で、なんだか懐かしいような……? 
 そうだ ゲール語というんじゃなかったかな……そう言えばテロンの姓はケルト系だった。
 詩のような、お祈りのような抑揚と区切りで言葉が話され、それに答えるように炎が動いたり燃え上がったりする。
 よく見ると、目に見える炎に重なるようにして、もう一つ炎が見える。それは透き通るようでいて、燃える炎よりも光に満ちていた。
 テロンが何かを区切るように指を立て、それから英語で続ける。多分セレスティンにも聞かせるために。
「この娘を認識しろ。娘が二つ目の世界に入る時には、つき添って守れ。手に負えないことがあったら俺に知らせろ。よく仕事が果たされたら返礼をする」
 二重の炎が大きく揺らめく。
「セレスティン 手を差し出せ」
 言われて火に手を近づけると、まるで犬たちが匂いをかぐみたいに、何かがセレスティンを感じとっている。熱気がふわりと体を包む。
「風の精[シルフ]どもは、すでにお前をルシアスの想われ者として識別してるな。
 エステラはお前に四大元素が人間の人格を通してどう表現されるかを教えたが、こいつらは人間のような自我の制御は受けない生き物だ。
 とくにこれぐらいのやつらは本能的に動き、時に思わぬ反応も起こす。野生の動物と同じだ。
 ここから先、お前が向こうに足を踏み入れたら、こいつらがついて回る。森の中でしばらくつきあって、こいつらの性質を把握して、コミュニケーションの仕方を覚えろ。
 森の外に出るのはそれからだ。
 それからな 森の周辺でもその外でも、何かに出くわした時、名前を聞かれても決して教えるな。
 二つ目の世界では、真の名前を知ることで相手を縛ったり操る力につなげられる。それもあって魔術師は二つ目の名をつけるが、お前にはそれはまだない。
 水の精[ウンディーネ]を見つけても、エステラの名前を出すな。それが本物のウンディーネで、向こうがお前を信用したら、向こうから彼女の名前を出してくるだろう。それを待て」