「お前はアヒルの子みたいだなあ」
アラモアナ・パークの草の上に座りながら、テロンが言った。
「どういう意味?」
「見たものを親だと思って、どんな目に遭おうがどこまでもついてく――もっともお前の場合はその対象がルシアス、マリー、俺と順に交代してるんだが」
その譬えにセレスティンは笑った。
アヒルの子供は刷り込みによって、卵から孵って最初に見たものを親だと思いこみ、ひたすらその後をついていく。学者の実験で、人間とかおもちゃの機関車とか、とんでもないものを見せられた時にも必死でその後を追う。
確かにひたすらルシアスを追いかけていた時、マリーのところに入りびたっていた期間、そしてテロンの後をついてまわる今と、自分の行動は、刷り込み対象のあとを追いかけてまわるアヒルの子に似ていないこともない。
テロンは譬えによく動物を使った。それはユーモラスなだけでなく、実際の動物たちの性質をよく反映していて、彼が本当に動物好きなことをうかがわせた。
突然、パークに面した道路の方から子供の叫び声がした。
「ラルフ! だめ!」
ふり向くと、ジャックラッセルの子犬がリードを引きずりながら走り、そのあとを男の子が追いかけている。腕白な子犬が子供の手をふり切ってしまったに違いない。
男の子は、犬が車道に走り出るのではないかと心配して「だめだよ! 危ない!」と叫びながら、半べそで走っている。
助けてあげなきゃとセレスティンが立ち上がりかけると、テロンが指笛を吹いた。
それまでジグザグに走りまわっていた子犬が、ダッシュでこちらに向かってくる。膝の上に飛び込んできた子犬をテロンは捕まえ、持ち上げた。
舌を出してしっぽを振る子犬を見ながら言う。
「悪そうな顔をしてるなあ、お前は」
息を切らせて走ってきた子供に子犬を渡す。子犬は男の子の腕の中で、喜んでいるんだかいやがっているんだか、しっぽをふって大騒ぎする。
「今度はしっかりリードをつかんでろ。こいつはとくにきかん坊だからな、人間のペースに合わせて歩くことを教えなきゃだめだぞ」
男の子はうなずきながら子犬を下におろし、そのまま引っ張られて走っていった。
「やれやれ」
いつも強面のふりをしているテロンが、こんな時には限りなく優しく見える。
そう思いながら見つめるセレスティンの視線にテロンが気づき、目をそらす。
この頃までにセレスティンは、テロンが自分に見せたがっている彼のイメージと、その奥にある彼自身の間にギャップのあることに気づいていた。
荒っぽい軍隊上がりの人間としてふる舞い、そしてセレスティンを子供扱いすることで、二人の間に距離をとる。それは前にルシアスのやっていたあからさまな距離のとり方に比べれば、ずっと巧みで、以前のセレスティンなら気がつかなかっただろう。
でも、マリーの手引きを通して自然や人間の奥の、時には隠されている姿や意味に注意を払うことを学んできたセレスティンには、投影されるイメージの向こうに別の彼の姿が見えた。
そしてそのことにテロン自身も気づいているように、奥にある「彼」の姿がセレスティンの目に映る時、さっきみたいに知らん顔をする。
自分の優しい面を見せるのがただ照れくさくて、そんなふうにふる舞うんだろうか。とりあえず他に説明は思いつかなかった。
草の上に転がって頬杖をつき、セレスティンはずっと温めていた質問をした。
「ねえ いつか過去の人生について話してたことがあるでしょ 『信じてるんじゃない、知ってるんだ』って」
「うん? まだ覚えてたのか、そんなこと」
テロンが少し面倒くさそうに言う。
「――本は読んだか?」
「うん。プラトンの『国家』はちゃんと読んで、すごく面白かった。他にもエリザベス・キュブラー=ロスとか、アーサー・ガーダムとか、精神科の医師の人たちの書いた本も読んでみた。
人間が死んだ後も魂が残るってことを深く疑ってたわけじゃないから、過去の生というのがあることは納得できるの。
魂があって、それが肉体の死を越えて生き続けるって考えた方が、人間の生きる意味についてもずっと理解しやすい。
テロンにとってはそれはどういう意味を持つの?
あんなふうに言い切るってことは、そういう経験があるんでしょう?」
テロンからの返事に珍しく時間がかかった。彼の視線が下に落とされる。
してはいけない質問だっただろうか。
視線はセレスティンから外されたまま。
「……俺には『思い出す』ということが、時々、昔の自分の馬鹿さ加減に対するつけの支払いのように思えることがある」
何かを断ち切るようにそう言って、それからいつもの表情に戻る。
「ちっ カフェインが切れたな。コーヒーを探しに行くぞ」
テロンは立ち上がるとセレスティンを促した。
道路を挟んでパークのすぐ前にあるショッピングモールに向かって歩き出す。
横について歩きながら、感じた。彼は自分に対して何かを話すことと話さないことの間で迷い、話さないことに決めた。
観光客と地元の買い物客でごった返すアラモアナのモールは、ルシアスなら絶対に足を踏み入れない場所だ。人の集まるにぎやかな場所を気にしないらしいテロンは、ルシアスより人間との関わりを楽しむことができるのだと思っていた。
でも彼の中には、どんな人混みの中にあっても誰も触れることのできない空間があるのかもしれないと、ふと思った。
その夜、自分の部屋のベッドに転がりながらセレスティンは考えた。
ルシアスの言葉に関わらず、彼とテロンの友情は、この人生だけでは測り切れないくらい長いものだという気がした。
ルシアスがマリーを見て、どこかで会わなかったかと声をかけたのも、偶然かもしれないけれど、過去の人生の記憶からきたのかもしれない。
会ったその日からマリーが自分に心を開き、扉を開いてくれたのも、単なる幸運かもしれないし、そうでないかもしれない。
自分がルシアスに初めて会った時から、忘れることができないほどに惹かれたのも――?
いつかマリーに与えられた戒めを思い出す。
「知識というのは、すべてをあからさまに伝えればいいというものではないの。相手に応じて、状況に応じて、口をつぐまなければならないことがある。
それを明らかにすることで相手を自由にするのではなく、相手を縛るような知識。相手がよりよく生きることを助けないような知識や情報は、自分自身の責任において、伝えることを差し控えなければならないことがあるの」。
それがテロンが黙った理由だと思った。彼はどんな記憶を守っているのだろう……。