お茶を飲んでいたセレスティンが顔を上げ、何かを目で追う。
ルシアスにはそれがいましがた、そばを通り抜けていった風の精[シルフ]を追っているのだとわかった。
最初に出会った時から、彼女の感覚は普通の人間よりもずいぶん鋭かった。そしてもともと鋭敏な五感が、マリーのもとで学ぶことで、通常の範囲を超えて伸び始めている。
その変化の速度は、ルシアスが予期していたよりも早い。
マリーの教え方か? いや、それだけではない。
庭だ。
明らかに「庭」は、セレスティンに対して好意を持っている。庭を構成する生命たちが、彼女に対して自らの世界を開き、招き入れようとしているようにさえ見える。
ルシアスは古い時代に妖精やエルフたちが、気に入った人間を自らの世界に招き入れたという伝承を考えた。
それは多くの場合、物理的に向こう側の世界に連れて行かれるというよりも、魅入られ、心が奪われてしまう状態だったはずだ。
物質を超える世界に感覚が開かれ始めたばかりの時期には、感覚はまだ不安定で、そこには実際の現象の経験と、本人の憧れや満たされない欲求の投影が入り交じる。そしてだからなおさら、その超常的な経験に夢中になりやすい。
不要な危険を避けるためには、能力には手綱をつけて、それが開かれる速度を制御しなければならない。
マリーなら、そのことには気づいているはずだが……。
ある日の午後遅く、セレスティンはルシアスにねだり、オアフ島の南側にあるサンディービーチに出かけた。オアフにはたくさんのビーチがあるが、ここにはあまり来たことがなかった。
この海岸は波が強くて動きの予測がつかず、地元では「首折りビーチ」というあだ名で知られている。岸の近くを離岸流[リップカレント]が流れていて、知らない人がうかつに泳いで、沖に流されてしまうこともある。
しかし、それよりも注意が必要なのは波だ。地形のせいで水深が急に変わり、この浜には海からの波がつねにうねりになって届く。とくに風が強い日には、人を飲み込むような大きな波が、水のトンネルを作りながら打ち寄せる。
今日は風も穏やかで、波はそれほど高くない。ときおり近くまで打ち寄せて砕ける波の、水しぶきが気持ちいい。
砂の上を歩きながら、寄せては砕ける波の音を感じる。
潮の匂いのする風が少し強くなる。
繰り返す強い波の音の中に、ふと呼び声を聞いた気がした。
ルシアスではない。
高く遠い歌声のようなものが、波の音の背後に聞こえる。
立ち止まり、それから水に近づく。
冷たい波が寄せて足を濡らし、それから引いていく。
波はさぁっと寄せては白い歯を見せ、また引いていく。
オアフのどの海岸の水よりも強い性格のようなものを感じる。
「セレスティン」
後ろの方でルシアスの声がしたが、それよりもセレスティンは海に注意を惹かれていた。
もう少しこの水を近くに感じてみたい。
波が寄せて足首が浸り、ひざまで水が登る。
突然、巻き上げる波が大きく跳ね上がり、セレスティンは頭から波をかぶった。素早く引いていく水に足をさらわれ、倒れそうになるのを、後ろからしっかりとした腕が抱き留めた。
「セレスティン」
呼ばれてはっとする。
ふり向くと、自分もルシアスも、ずぶ濡れになっていた。
「あ……ごめん 服、濡れちゃった」
「ハワイの気候なら、こんなものはすぐに乾く……今、何をしていた?」
そう言われて少し考える。
「声を聞いてたと思う 歌声みたいな」
ルシアスはセレスティンの手をしっかり握ると、海から離れるように歩かせた。
帰りの車の中で、彼の口数が少ないのはいつも通りだけれど、その表情はいつもより難しかった。